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2004-03-13

インド旅行記−死に場所

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AIDSのターミナルケアセンターの女性たち

 ジョティス・ターミナル・ケア・センターに着いた。ここはカトリックが運営する組織である。中へ通されホールで、シスターの話を聞く。ここにいるエイズの患者は38名、うち3名が男性である。ハンセン病の患者が共同体の中で曲がりなりにも生きていけるのに対して、完全に共同体から疎外・放逐されるのがエイズ患者だ。女性たちの多くは、元売春婦であり、夫や子供のいる人も多く、うち26人が子持ちだった。しかし発病したとたんに、女性だけが共同体から放り出される。家族とは絶縁状態、子供には一切会えず、家族が見舞に来る人は全体の1割、たった3人ほどだという。亡くなる直前になっても、会いに来る人はいない。

 ここで患者がすべきことは、免疫力を高めるために栄養のある食事をきちんと食べ、部屋を清潔に保ち、後はテレビを見ることぐらい。外に出ることはできないので、本当に、死を待つだけの家である。ここは病院ではないので、医療行為はほとんどなされていない。何もせずにただ死を待つだけというのに、釈然としなかったが、彼女たちにとっては今までの地獄のような日々のなかで、おそらく今が一番平和な日々なのだろうと言ったある人の言葉に、切なさを覚えた。

 宗教に関係なく、亡くなると火葬にふされるという。患者からは一切のお金をもらっていない。全て寄付や基金からまかなわれている。4人のシスターだけで運営されており、料理も食事も患者と共に行い、一緒に生活している。

 チャイとサモサを頂いた後、ミニコンサートを開く。女性15名、男性3名の患者さんが聴衆。比較的というか、かなり元気な患者さんばかりで、にこにこと私たちのコンサートを見てくれる。一人ずつが三人の患者さんのところへ行き、名前を覚えることになった。といっても、名前を聞くのが精一杯。その名前も、英語風の名前はすぐに覚えられるが、ヒンディ語の名前は何度聞いても頭に定着しない。一人は、マギーという名前だった。

 独唱「荒城の月」、フルート演奏と歌の「ラルゴ」、三重唱の「野薔薇」、一生懸命覚えたヒンディ語の「青い山脈」(全員)、ブレークダンスなどが披露された。インドのこの地でこの状況で聞く「荒城の月」。荒城の月という歌を聴いたのは何十年ぶりというほど久しぶりだったが、美しい歌声と哀切なメロディ・歌詞がしみじみと心に沁み、涙が出てきた。ヒンディ語で歌った「青い山脈」だが、ヒンディ語だと認識してもらえなかったのが笑えた。

 私たちがコンサートをやっている間、ある看護士がシスターに呼ばれた。丁度コンサートをやっている壁を挟んだ反対側には、昏睡状態にある末期患者アニータさんが寝かされていたという。簡単な処置は行われていたが、病院ではないのでたくさんの管がついているわけではない。名前を呼んだが、返事はなかったという。私たちの歌声は届いていたのだろうか。

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