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2005-02-26

行ってきます

今、関西国際空港です。今からバンコク経由でムンバイに行ってきますー。今回はどんな旅になるでしょうか。土産ばなしを楽しみに待っていて下さい。帰国は三月五日ですー。
*(^^)*めぐむ*(^^)*050226_0941001.jpg

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2005-02-24

デリー

 とうとう、インドに行く日が近づいて来た。
 大急ぎで前回の旅行記を終えることにする。

 ムンバイから、デリーに飛んで、一泊。デリーでは、中島岳志氏というインド研究者が出迎えてくれているはず。ところが、どうやら私たちの飛行機が国際線の到着ロビーについたようで、行き違いが生じた模様。

 うううう、初めての大都会デリーだが、がんばって自力でたどり着くしかない。
 prepaidタクシーを使って、「 World Buddhist Center」に行く。タクシーのおじさんは、あちこち探しながらも、なんとか宿を見つけてくれた。インド人は親切心から(間違っていても)道を教えるといわれているが、どうやら、この現象は、相手がインド人、外国人に関わらず同じようだ…。おじさんは、かなり苦労していた…

 宿にたどり着くと、中島さんはかなり心配顔で門の前で待っていてくれた。お騒がせしました。

 この晩、例の生水のせいで、腹痛に苦しむ。かなり痛かった…。明け方、うとうとしながら不思議な夢を見る。道にあった門(か扉)を出て向こう側に行く夢だ。夢をみながら、おお、病気の危機を脱したと思った… インドって不思議…

 次の日、不十分な体調をおして、何人かの人に会う。Kさんは、ゴミなどそこらへんに手近にあるもので工作を子供達に教えているスラムのお姉さんである。

 彼女は、ButterflyというNGO組織に協力して働いている。ストリート・チルドレンは常に移動しているため、子供達と出会えるアクセスポイントというポイントを用意する。このポイントも常に変わるが、常時15カ所ぐらいで、子供達に会えるようにしているという。月曜から金曜まで、午前は10:30-14:00,午後は14:30-17:30で、交替で行っている。他の活動には、ストリート・チルドレンニュースなどを集めた「新聞発行」、演劇(ムービースターになりたい子供達とか)、クリケット、サッカー、識字教育、ダンス、あと、health programというものもある。このhealth programというのは、医療にかかれない子供達のために、一人が5ルピーずつ払って、集めておき、誰かが病気になったらその中から使うという、つまり今でも田舎に残っている(島根の田舎には残っています)頼母子(たのもし)講みたいなシステムである。

 あと、私設銀行もあり、毎月一定額貯金して、一年間続けられた子には10%の利子が付くとか、また信用があって一年間続けられる子には、何かの店を出すときの資金融資もしているという。なかなか面白いシステムなので、驚いた。

delhi
 デリーのファーストフード店で。Kさん、中島氏と。

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2005-02-23

インドの農村地帯

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 突然現れた東洋人におっかなびっくり。子どもたちは裸足だ。

 さて、ムンバイの最終日は、農村地域に案内された。ムンバイから1時間、100キロ圏内が担当地区になっているそうだ。
 大都市ムンバイを離れれば、だだっ広い平原。そこにぽつんぽつんと村がある。村の入り口を入ると、大きな井戸を中心に掘っ立て小屋のような家が建つ。あまりに貧しいが、これは普通の村だという。そこここに、鶏が走り回り、牛も放し飼い、牛糞やら様々なものが入り交じった一昔前の懐かしい臭いがする。テレビなどは、なさそうだった。

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 近隣の地域を含めて一つの村となり、約200人が住む。そのうち、ハンセン病患者は27人。家の前で、Dr.Paiが診察を始める。既に把握されている患者のフォロー・アップである。一人は、進行が認められない(治癒)ので、継続観察。一人には、足に傷が出来て感染しやすいので、特製スリッパを提供することになり、紙に足形を取っていた。こうして、患者にスリッパを提供する。

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 この中で、突然、新たな患者が発見された。子供である。全身のあちらこちらにパッチができている。今まで把握されていない子供だ。実は、この村から少し歩いて幹線道路に出ると、そこには政府のヘルス・ケア・センターがあり、政府の医者が常駐している。そこに行けば、ハンセン病の治療薬がタダでもらえる。治療には、約半年、重症でも一年で治る。Dr.Paiは、近くに診療所があるのに、政府の診療所は全く役に立たないと嘆いていた。こうやって、民間の団体がいちいち村に分け入って、一人一人見なければ、患者を見つけることさえできないのだ。日本のように、行政がすべての住民を把握していて予防注射の案内などの広報活動をするような体制は全くできていない。政府は、全く、何も、村人のことを把握していない。

  次に別の村に向かった。ここでは、足に変形の出ている患者がいた。神経が冒されるために、足に傷が出来ても全く痛みを感じず、さらに傷がひどくなる。ここでは、包帯などのドレッシングキット(dressing kit)を渡していた。このキットの中には、包帯、ガーゼ、脱脂綿、antibiotic powder(抗生物質の粉)、そして洗濯粉(!)が入っている。このキットを渡されて、患者は日々自分の傷を保護するよう、ケース・ワーカーから指導を受ける。

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  さらに別の村に向かった。ここは、先ほどより少し裕福な村。各家にテレビがある。ここでも、指に変形の生じた患者にhand gearを渡していた。母と息子が患者の家を訪問する。母は、40年前にAcworthハンセン病病院に2,3年かかったことがある。治癒しているが、変形が残っている。息子の方に、特製スリッパを提供することになり、息子の足形をとる。

  午前中いっぱいかかって、3つの村を回り、診察した患者は10人未満。いかに、気の遠くなる作業かということが分かった。Dr.Ganapatiが、資金が足りない、ワーカーが足りないというのも分かる。ここで、ボンベイから100キロ圏内。100キロと言えば、京都を中心にすれば、名古屋までが入ってしまう。そう考えると、日本の小ささと、インドの広大さが思いやられた。

余談:
 最後に回った村で、「水」を出された。冷蔵庫で冷やした水(貴重!)とポテトチップ、歓待してくれている。出された水を、飲みませんというわけにはいかない…。飲んだとき、なにやらヘンな味がした(井戸水かなぁ?と思った)だが、おばかな私は二杯も飲んだ…

 その晩と次の日、私とYさんは猛烈な腹痛と下痢に悩まされた。うう、やばい…。でも、熱は出なかったし大丈夫だろう…。うなりつつも、なんとか日本にたどり着いて、やっぱり心配なので医者で検査をしてもらった(コレラとかいろいろ)。結果は、すべて陰性。医者いわく、たいした菌は出ませんでしたが、おそらく何らかの大腸菌にやられたのでしょうね…だそうです。免疫が一つできました(;^_^A アセアセ…

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2005-02-22

CじゃなくてE?

私が関わっているボランティアグループが、ライトハウスとも関わりが深いことから、今回、木製の点字器や携帯点字器等を、インドに持って行き、インドの視覚障害者の現状を調べてくることになった。

 そのために、簡単な資料を作っていたのだが、なんせ、何も知らない素人なもので、初めて知ることばかりだ。

 まず視覚障害者の等級を説明しようとして、はたと困った。
 視力の0.01あるいは0.1、1.0というのは日本のもので、欧米では全く異なるのである。欧米では、視力検査をする場合に、20フィート(約6m)離れたところから、スネレン視力表(Snellen chart)というものを使ってはかる。Cの字ではなく、Eの文字がもとになっている。元々は、Eの字があっち向いたりこっち向いたりしていたようだが、今ではいろいろな種類があるようだ。20フィートからある大きさの文字が見える場合20/20 vision (twenty twenty vision)といい、これが日本の1.0にあたる。0.1は、ほぼ20/200に相当する。

 日本では、Cの字があっち向いたりこっち向いたりしている視力表を使うが、これは、「ランドルト環」(Landolt ring)というもの。

Snellen1snellen

いろいろなスネレン視力表 右側のものも普及版らしい。

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ランドルト環視力表と、元々のスネレン視力表

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2005-02-21

銀の馬車

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 なんだなんだこれは!?
 突然、目の前を「銀色の馬車」が走り抜けて行き、大笑いしながら写真をとった。
 この日、こんな摩訶不思議な馬車を何台も見た。

 やっぱり、インドは不思議な国だ。

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2005-02-20

ガンジー博物館(Mani Bhavan)

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 マハトマ・ガンジーが住んでいた住宅が「ガンジー博物館」になっている。
 一階にはガンジーが所蔵していた書籍が図書館として、二階にはガンジーの寝室と持ち物、そして三階にガンジーの一生がジオラマになって展示されている。
 
 ガンジーは、言うまでもなくインド独立の父。イギリスの綿製品に反対して、伝統的なチャルカ(糸車)によるインド綿製品を着用するという運動を展開したときの、チャルカも展示されていました。(マイフォトに入れてあります)

 びっくりしたのは、ガンジーの「所持品」。ガンジーが所有していたものは、このケース二箱のものだけだったそうです。サンダルにスプーンと食器、そして道具類。これだけしか持っていなかったそうです。生きるために人間が究極に必要とするものは、これだけなのかもしれません。

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水上モスク(Haji Ali)

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 ここは、水上モスク(Haji Ali)。写真の通り、海上の道の先にイスラム教のモスクがある。メッカ巡礼の際に死んだ聖者の墓があるらしい。道の両側には、掘っ立て小屋の土産物屋が並び、地面には物乞いが列をなして座っている。物乞いの人たちを、見過ごすのはかなりの勇気がいる。手のないひと、両脚のないひと、目の見えないひと、顔のつぶれた人、海の水をかぶりつつ赤ちゃんを抱えたお母さん。日本では、おそらくうまく隠されている部分が、直に目に飛び込んでくる。たまたま日本に生まれた私と、たまたまインドに生まれたあなた。そこにどんな差があったというのだろう。

 貧しさの中の豊かさなんて嘘っぱち。貧しさは過酷な現実。
 インドに行って日本に帰ると、これは傲慢な考えなのだろうけど、雨露しのげてご飯が食べられたらそれで十分幸せなんだと思ってしまう。ありがたや、ありがたや、もっと感謝しなければって思う。けど、日本に帰ってしばらくすると、あれもこれもと、欲が出てしまう。

 インドでは物乞いは感謝しない。当然だという顔でお金を受け取る。
 その気持ちが少し分かる気がした。私の幸せは、あなたの上に成り立っている。感謝するのは私の方かも。

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 アラビア湾に面しており、時折、波が道を洗う。私たちが歩いているときにも波がやってきて、よけ損ねたためにびしょびしょになってしまった。きゃーきゃー言うと、近くの子どもたちは大喜び…

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 イスラム教の信者ではないが、せっかくだからと(^^;中に入ることにした。モスクの中には、靴を脱いで入る。男性用の入り口と女性用の入り口が分けられており、男性は棺のそばまで入れるが、女性は袖から見ることになる。

 皆と同じように頭をたれていると、「はたき」のようなもので頭と肩を叩かれた。ありがたいもののようなので、ありがたくちょうだいする。

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2005-02-19

ベジタリアン

dinner

 海外で仕事するときに、つくづく思うのは、胃腸が丈夫でないとやってられないということである。
 食事をしながらdiscussion、接待に会食、顔つなぎ… 

 一緒に食事をすることは、文化人類学的には「共食儀礼」、「同じ釜の飯云々」というのと同じで、一緒に食事をすることは、やはりとっても大事な儀式である。となると、出されたものは全部食べるぐらいの気合いが必要、まぁ食い意地も張っているので、それほど苦痛ではないんだけど(^^;…

 ヒンドゥー教では、牛肉を食べないのは周知のことだが、実は、インド人には、ベジタリアンが多い。宗教的な背景があるらしく、特にカーストの高いヒンドゥー教の熱心な信者は、ベジタリアンの傾向が強い。一口にベジタリアンにもいろいろなランクがあって、最も厳しいものをsakahari、臭いの強い野菜も食べない。「うちの奥さんは、たまねぎも食べません」というのは、つまりは敬虔な信者であることを暗に伝えている(自慢している)。あと、牛乳は飲む人、牛乳・チーズ類も食べない人、魚は食べる人、あるいは魚も食べない人、いろいろとあるらしい。

 食べ物に浄・不浄の観念がひっついているので、これはなかなかやっかいである。(N氏によれば、浄・不浄と清潔か否かは別の概念だから、困るんだそうだ)。

 インド側でお世話になっているBLPのお医者さん方、Dr.G(写真手前)は敬虔なヒンドゥー教徒を思わせる。チャイ(インドのミルクティ)を、わざわざ紅茶と牛乳を別に持ってこさせて、牛乳はほんの少しと注文をつける。ボーイが牛乳を入れすぎると、あわてて止めた。一方、Dr.P(写真奥)は、若いだけあって開明的なのか、ベジタリアンではない。肉(牛肉を食べるかどうかは不明)を平気で食べる。

 例のニセ電話事件のMr.K、彼は医者ではない。どうもカースト的(なのか待遇的なのかは微妙だが)にはお医者さんたちより下のようである。
 別の日に、ムンバイの上流社会の社交場、会員制の「クリケット・クラブ」で食事をしたとき、Mr.Kはしきりに「わしゃ、ベジタリアンじゃから、ベジタリアンの食事を別に食う!」と別メニューを頼んだ。その妙なこだわり方に、背伸びをしたい微妙なポジションの悲哀を感じた。
 
 ところで、ベジタリアンの食事はとってもメニュー豊富。安いしヘルシーだし、パニールという牛乳を固めたもの(古代日本の蘇)は最高に美味しい。

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2005-02-18

マンゴ

juice

  ここのジュース屋は有名だそうだ。
  結構高いが、うまいらしい。私は、マンゴージュース、Yさんはザクロのジュースをたのんだ。
  マンゴージュース、砂糖を入れるかと聞かれ、いらないと答えたが、入れなくても十分に甘い。これに砂糖いれたらどんなんになるんだろうか?
  マンゴージュースは、マックシェイク並に濃度が高くて、吸い上げるのが大変!
  ザクロのジュースは、残念ながら青臭くて、ちょっと飲むのが大変だった。

  日本に帰って来て、一番、懐かしかったのが、このマンゴ!
  ジュースも、生フルーツも、日本ではなかなか食べられないのが残念。

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2005-02-17

ガンジーの言葉

wordsアクウォース病院の院長室にかかっていたマハトマ・ガンジーの言葉。ガンジーは、ハンセン病患者の救済にも大きな働きをした。

 「ハンセン病に対する働きは、単なる医療的救済行為ではない。それは、人生の挫折感を献身の喜びに変え、野心を無私の奉仕に変える働きでもある」

 モンスーンと日光(ひかり)の教室(Monsoon and sunlight class)は、Acworth Leprosy hospital(アクウォースハンセン病病院)の敷地内にある。インド側のNGO協力団体「Bombay Leprosy Project(BLP)」が、スラムや農村地区でのハンセン病患者の治療やリハビリにあたっている関係からである。

 ちなみに英語のleprosy(ライ病)には、差別的な意味合いはなく、中立的な一般用語である。ハンセン病(Hansen's disease)といっても通じないことが多く、わざわざ言い換える必要はない。このことは、日本においていかにハンセン病患者が差別されてきたかの裏返しでもある。

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インドのイエス

jesus1

 道路の向こう側に行こうとして、迷い込んでしまったところが教会だった。
 何人かが、イエス像の前で熱心に祈っていた。
 インドのイエスは、なんだかとってもたくましい。腹筋が割れている…
 こちらはまだ、西洋風の面影のイエス。
 ジョティスターミナルセンターでみた、イエス像の絵は、極彩色でインド風だった…。
 こういうたくましいイエス、ちょっと気に入ってしまったかも。

 頸からかけている「レイ」みたいなものは、ガネーシャ祭りでガネーシャに捧げていたのと同じ、マーガレットの首輪のようだ。

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2005-02-15

NOVAうさぎ in India

nova
 この子の名前はジャスミン

 インドに頻繁に出かける目的…それは、インドのMumbai(ムンバイ)に住む子供たちに学校を作るためである。インドのムンバイ(旧ボンベイ、Bombay)には、アジアで最大のスラムがある。生活レベルが低いために、学校に行けない子、ハンセン病などの病気にかかった子たちのために小さな学校を作ろうとしている。

 学校と言っても、現段階では、小さな教室、それも「小屋」といった方がいいようなところであるが…。シスターが細々と続けていた教室が、財政難で立ちゆかなくなってきているため、そこを支援する形をとることになった。

 さて、教室を訪問をしたのだが、何かしら「芸」をせねばならぬということで、NOVAうさぎを持っていった。子供たちは、英語が分からないので、片言のヒンディー語で、「こんにちは。私たちは日本から来ました。ムンバイには列車の駅がたくさんありますね」などと自己紹介をして、インドでは大人から子どもまで誰もがしっている「チュクチュクガリ(汽車ぽっぽ)」の歌をヒンディ語で歌った。

 インドの「チュクチュクガリ」の歌は、日本の「汽車汽車しゅぽしゅぽ」と「汽笛一発新橋を…」を足して二で割った(どんなんや~!)歌である。ちなみに「チュクチュク」は「しゅっしゅっ」と同じ意味、ガリは「車」という意味である。

 と書いてしまえば簡単そうだが、実際には、飛行機の中でスチュワーデスのおねぇさんに自己紹介の文法をチェックしてもらい、ホテルでは、朝の忙しいボーイさんを部屋に招き入れて、ヒンディ語の発音練習&歌のダメだしをしてもらい、寝ても覚めてもヒンディ語の歌詞を呪文のように唱えて、覚えるのに必死…

 ところで、インドにはウサギがいないらしい…?
 NOVAうさぎを紹介するのに、「うさぎ」の単語をヒンディ語辞書で調べたら、「耳の長いロバ」と同じだった(爆)
 
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 子どもたちは、食い入るように見ており、歌をうたっても「ぼーぜん」って感じだった。

nova2
 小屋のような教室の前で…

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ブラウザの怪

しばらく、お休みしている間に、このココログも変わったようで、新しいリッチテンプレートなど使えるようになったらしい。見てみると、かわいくて素敵なテンプレートがいっぱい。

 ちょっと模様替えしようと、そのテンプレートを選んでみるが…
 私が使っているOperaというブラウザでは、うまく表示されないどこか、メインページが真っ白(泣)。Internet Exprolerなら大丈夫みたい。でも、いちいち、ブラウザを切り替えるのがじゃまくさいのと、IEを使ってないひとはどーなるんだーということで、泣く泣くあきらめた…。

 悔しい…
 でも、ここで引き下がっては女がすたるということで、よく似た色調にマイナーチェンジ。
 手動でやった方が、細かな設定もできるので、よしとすべーー。
 RGB16進法コード表というので、色の指定をしなければならないが、世の中にはすばらしい方がいらっしゃるようで、色見本があった。
 
Mariのいろえんぴつ

 リンクウェアだそうです。ありがとうございます。

 今回、つらつら見比べてみて分かったが、投稿画面のボタンが2つ(IEだと8つ)しか表示されない上に、見た感じも全然違う(--; 完璧と思って作っていたが、IEでみると、微妙にバナーの部分がずれている(泣)

 なんだか、知らないうちに意地悪されていた気分…
 娘は、最近はやりのブラウザ Firefox(Win用) & Safari(Mac用)を使っているのだが、やはり迫害されているのかな… 知らないことは幸いなり、かも。

 

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2005-02-14

食欲を感じた指

 初日から、衝撃的な体験を…

 睡眠時間数時間で、しかも暑い日中、ビクトリア駅まで徒歩で出かけるという無茶をしたもので、暑さと疲れでとうとう頭がくらくらしてきた。というか、そんな生やさしいものではなく、はっきり言って、気分が悪く熱中症で「倒れそう」な雰囲気である。まじ、やばいー!ここで倒れたら、同行者のYさんに迷惑がかかる…。でも、頭ふらふら。

 しんどいので、ともかく「涼しい」ところで一服することにした。ちょうどお昼頃…、涼しくて冷たいものが飲めてゆっくりできるところと言えば、レストランしかない!

 ということで、ベジタリアンレストランに入った。

 入ってびっくり… 冷房なんかどこにもないじゃない…(--; 
 むしろ、熱気と風も動かない「サウナ状態」 頭ががんがんしてきた…
 冷たいものを飲んだら、少しは楽になるだろうと、アイスコーヒーをたのむ(結構高い)。
 出てきた、アイスコーヒーはしかし、ぬるかった!
 何これ??氷が2個ぐらいしか入ってないの…。身体なんか冷えないよう!

 座っていてもふらふら状態…だんだん気分が悪くなって来て、トイレに行こうと聞くと、店にはトイレなどないとのこと…!えーーー? 外へ出て、隣の安ホテルのおにいさんに聞くと、道路の反対側にあるという。そんなー、そんなとこまで行ったら、確実に死んでしまう。おにーさん、お願いだからここのホテルのトイレ貸してというが、ここのホテルは安ホテルで、フロントも無ければ喫茶室もないという。トイレなんかないと冷たい返事。だが、ここは万国共通、泣き落とし作戦しかない。「お願いだからトイレ貸して。」「だめ。あそこにインドのトイレがあるから、あっち行け」「いや、あっちなんか行きたくない」「なんで」「私は、インド式のトイレなんかできひんねん。西洋式のトイレがいい!」「ダメ」「お願い(うるうるとした目で)。せっぱつまってねん」「お願い。西洋式のトイレがいい!」と拝み倒す。

お兄さんはとうとう根負けしました。分かった、従業員用のがあるからそれを使えって、ありがとうありがとうありがとう。

 トイレを借りて、ついでに水を首筋から背中にかけて、身体を冷やした… 

 さて、レストラン、食欲などあるはずもなく何を食べるか考える気もないまま、向かいの人が食べているのと同じ定食ターリー(大きな丸いお盆に、小さな丸い入れ物がいっぱい載っていて、カレーが数種類、つけもの、汁物、サラダ、ヨーグルト、甘いもの、あと、ご飯にナン(チャパティ)まで!山盛り載っている定食)をたのむ。

 どーんと運ばれてきた、お盆を見ても、どう考えても、食べれそうもない。食欲は減退、目で見ても、鼻で香辛料のにおいをかいでも、全然ダメみたい。

 でも、何か口にいれなくっちゃ…

 ちなみに、スプーンはありますが、そのほかの食膳具はありません。みんな、指でご飯を食べています。レストランには必ず洗面台があって、入って来た人は皆、そこで手を洗います。私たちも洗面台で手をあらいました。石けんを使おうと思ったけど、石けんの方が汚れてそうだったのでやめました(;^_^A アセアセ…
 
 何から食べようかと、ふと、目の前にあった「じゃがいもの煮物(カレー色した肉じゃがをつぶしたようなもの)」の中に指をつっこむと…!
 あら不思議。指が食欲を感じたのです!私は、自分の指が感じた「じゃがいもの食感」を一生忘れることはないでしょう。指がじゃがいもを感じたのです!おおお、美味しそうって、指からぴぴぴぴぴと情報が脳に伝わり、これ食べれるかも! 結局、食欲が突然刺激されました!

 そう、食欲を感じるのに、視覚と嗅覚、それにもう一つ、触感が残されていたのですよ!
 
 ターリーは美味しかったです。辛いのだけど、辛いと汗がどんどん出て、身体を冷やしてくれます。熱気が全部逃げたという感じ。インドではやはりカレーを食べるのが一番、それもそこの流儀で食べるのが一番。やはりこれは、長年の生活の知恵なんだろうと納得したのでした。

 ちなみに、ターリーは安かったです。50ルピー。いえ、現地ではおそらく「中の上」ぐらいのお値段でしょうが、日本円にすれば、一食130円。食べきれないほどの量です。これに比べて、アイスコーヒーは、15ルピーほどしたので高かったです。

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2005-02-13

旧ビクトリア駅

station3さて、初日のニセ電話事件ですっかり騙された私たちは、予定キャンセルをこれ幸いと、散歩にでかけた。まずはパンジャビスーツを作り、鉄道の高架をわたって西の海岸線(マリーンドライブ)からアラビア湾を見、こんどは東の方へ戻って、旧ビクトリア駅の方に行くことにした。

 旧ビクトリア・ターミナル駅、現在は「チャトラパティ シヴァージー」駅というが、イギリスが植民地時代に建てた駅で、すばらしい建造物である。市街地も、植民地時代の面影を残しており、つまりは、道路を走っていると、ところどころに「ロータリー」がある。ヨーロッパでは、交差点の代わりにロータリーを使って円を半周あるいは、四分の一周して方向転換するが、その「ロータリー」である。

 教会か何かに見えるが、れっきとした駅。ドームの上には、聖人がおり、横からガーゴイルも頭を出している。ちなみに、ガーゴイルとは、ゴチック建築に特徴的な、モンスター形をした雨水排水システム。

station2
 中はちゃんとしたターミナル。
 他にも写真があるので、マイフォトに入れておく。

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扉のない電車

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 ホテルから海岸まで歩いていくには、電車の高架をわたらなければならない。
 近くに、Church gate駅(終点駅)があり、電車が通っている。
 その電車だが、いつ見ても感動するのは、扉がないこと。みんな、扉から半分身を乗り出し、外を見ながら乗っている。一度、やってみたい!と思うが、カーブで落ちても、自己責任なんだろうな(爆)

 高架をわたると、雑貨店があった。ほんと何でも屋さん、昔の雑貨店である。
 カウンターの奥には雑貨から食べ物、カウンター下はガラス戸になっていて鉛筆やらノート、石けんから、衛生用品、さまざまなものが置いてある。
 飛行機の中で食べておいしかったスナックがあったので、大喜びで買った。

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2005-02-12

パンジャビスーツ

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panjabi1

 さて、空いた時間を利用してパンジャビスーツを買った。一つは、シックなブラウンで、日本にいても着られるもの。もう一つは、派手なオレンジ&ピンクのインディアンカラー… 
 You look an Indian girl と言われてしまった。

 パンジャビスーツとは、ワンピース&パンツ&長いスカーフの三点セットである。前から見た写真だと分からないが、前にドレープを作り、両肩から後に長くスカーフを垂らしている。歩くと、ひらひらとスカーフが揺れてとてもきれいである。このスカーフの巻き方、人によっていろいろ、片方の肩だけに垂らす人、ショールみたいに巻く人、さまざまである。日本では、ショールみたいに巻けば、普通のパンツスーツで十分通る。

 シックなブラウンな方、派手なオレンジの方、近くでみると両方ともきらきらスパンコールおよび手で刺繍が施してある。うー、賃金が安いのだろうと思うと、非常に申し訳ない…。

 上のワンピースも長さ、スリット、頸まわりのカット、袖の長さなど、すべて好きに注文できるし、パンツも裾を広げるかストレート、スリムにするかなど、すべて自由に注文できる。

 実は、外からだと全くわからないが、このパンツの方、ウエストは「紐」(^^;である。つまり調節自在… あまりゆるゆるにすると落ちてくるから危ない(爆) でも、おなかいっぱい食べても大丈夫だし…、非常に実用的で楽ちん。とても着やすい服である。しかも非常に乾きが速い(当たり前かも)

 一着、インディアンカラーの派手な方は、素材がポリエステルなので、925ルピー(なんと約2500円)、茶色の方は少し上等で、1825ルピー(約4500)円である。

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ニセ電話事件 in India

seashore

 ムンバイは、アラビア海に面している。幸いにもTsunami(津波)の被害地とは反対側。

今月末から、またインドに行くことになった。

 ずっとさぼっていて、前回のインド紀行が終わっていないので、大まかな話だけでも、おおざっぱにでも記録しておくことにする。(忘れてしまうので)

 インドに旅行する際に、一番のネックは、日本からの飛行機の発着が真夜中だということだ。ムンバイに着いたのは夜中の12時、ホテルに帰って寝る頃になると午前3時、つまりは、日本時間の朝6時半だ!

 着いて早々、数時間の睡眠で、お仕事開始…。まずは、相手のオフィスに電話しなければならない。当初の予定では、午前9時半にオフィスに行くことになっていた。迎えに来てもらわなければ、どうにもならないのだが、まだ事務所が開いていないと思い、前もって知らせてもらっていた携帯に電話をする。

 This is Megumu speaking. We arrived Mumbai last night. I'd like to talk with Dr.P....
 確かに、相手はDr.Pと名乗った。私のFamily nameも知っていた。ところが、彼は今、ムンバイにいないという。なんでやねん!今日ってお約束ですよね〜?いや、今ムンバイを離れていて、夕方の飛行機でともかくそっちに着くから、明日に予定を変えてくれないか、君たちとぜひdinnerをご一緒したい、そのときに話をしよう…

 いきなり dinner かよ?? なんだかおかしいなぁと思いつつ、あまりに流ちょうかつ話のつじつまも一応合っていたので(二人が電話に出たけど、特に逸脱したところはなかった)、「さすがインド人やな!」と大笑いし(まじめなインド人の方々すいません)、早朝着だったことも手伝って、これ幸いと、この電話を信じ込んだ。

 ほっとすると、じゃぁ、せっかく一日空いたことだし、と、近くのサリーのお店に出かけて、Panjabi suit(パンジャビスーツ)を作ることにした。インドでは、カジュアルでもいけるし、正装にもなる。サリーはなかなか身に付かないので、これは非常に重宝である。

 あとはビクトリア駅を散策し、暑さと湿気と疲れで気を失いそうになりながら、インドのトイレを借り、初めてベジタリアン食堂に入って指でご飯をたべ、市場をうろうろしてご機嫌で帰着(詳しくは別項目)

 さて、このニセ電話事件の続き。
 
 午後3時頃にホテルに帰ってくると、メッセージがてんこ盛り山盛り。完全なMissing personsになっていた・・警察に連絡した方がいいかもという話まで…
 オフィスの方々、Dr.G、Dr.P、午後から訪問するはずだった子供たちの「モンスーンと日光の教室(monsoon class)」子どもたちもシスターも先生も、午後1時半までずっと待っていて下さったとのこと。

 I am awfully sorry, but the speaker said today's schedule should be cancelled.....
「本当に申し訳ありません。でも携帯に電話したら、今日はキャンセルって言われたんです。かくかくしかじか云々」
 What number did you call? 番号はこれこれです。(背後で、がやがや大騒ぎ)。それは確かに、Dr.Gの携帯だ。Dr.Gが電話に出て、私はずっとムンバイにおった(そらそうでしょう)。がやがや。普段携帯は Mr.Kが持っている(一台の携帯を共有しているらしい)。がやがやと犯人捜しが行われているが、よく分からない。

 結局、mischievous call (いたずら電話)で、You were deceived(騙された)だの、teased(からかわれた)だの、なんで主語が私なの?Who?と言いたいのをこらえ… オフィスに電話すべきだったと言われ、はい、おっしゃるとおりですと平謝りして…

 夕方に、それこそ今度は本当にdiscussionのためにディナーをごちそうになることになった。

 さて、ニセ電話事件のその後の顛末

 翌日のこと、オフィスを訪れると Mr.Kがわざわざ出迎えてくれて
 I am sorry about misinformation なんたらかんたらと言う。
 その話ぶりで、昨日の犯人はこいつや!と確信した。

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2005-02-10

DELLがやってきた

Dell

 久しぶりにココログを書くと、画像の挿入の仕方までが変わっている。
 まぁ、やってみよう。

 恋人に振られたりイヤなことがあったとき、日本語では「やけ食い」をするが、英語ではこれを、comfort eatingという。映画で、人の顔サイズの大きなアイスクリーム、山のようなチョコレートを食べているシーンがあれば、それは、ccomfort eatingの暗喩になる。
 ここから派生して、comfort drinkingならやけ酒、comfort shoppingなら、女性がよく出かけるお買い物である。普通、こういう場合、前から欲しかった服やら高価なアクセサリー、靴やバッグを、「買っちゃった〜」となるはずだが…

 私の場合、どういうわけか、comfort shoppingの対象はコンピュータであるらしい。
 数年前から骨董品級のMac Performa 5440に変わるデスクトップが欲しかった…。
 買っちゃった〜〜!CPUは3G、メモリは1G、20インチワイド画面で、怖いものなしである。

 どう考えても、服やバッグや靴より高価である(^^;
 「回遊魚」の夫は何も言わない。当たり前である。comfort shoppingの元凶に文句を言われる筋合いはない。

 DELLにはテレビチューナつけて、ついでにBSチューナにWOWOWのデコーダつけて、映画も見られるようになった〜。録画もできるようになった! DVDに焼けるようになった。ばんざーい。ばんざーい。

 最初、DELLのウェブサイトから購入しようとしたが、あまりに専門化しすぎていて、構成がよく分からない。結局、お店でDELLのおにーさんを捕まえて、あれこれ注文つけて構成を決めてもらった。

 荷物が届くと、これまた、ちょっと一苦労。Macを買ったときのような親切さはない。まぁ、線をつなぐだけなんだけど、ビデオカードつけたもんで、どっちのコードつなぐのかよく分からなかった。説明書きは7カ国語ぐらいで書いてあって、日本語ちょっとヘンだし(爆)、文章完結してないし…。

 でも、接続しやすいように、ディスプレイが90度回転するのに、びっくり。ディスプレイ横にUSB二つもついているし、本体前面に2つ、後方に6つ付いていて、非常に便利!プリンタのUSBをディスプレイ横に接続できるのは、感動的にうれしかった。

 ともあれ、DELLには余計なソフトが付いていない!これは、非常に快適である。前にNECのノートパソコンを買ったときは、山盛りてんこ盛りソフトがついていて(これはこれで、便利ではあるが)、画面がちらちら賑やかすぎた。インターネット入会案内など(7社も8社もついていて)いらないものを、全部削除したら、パソコンが立ち上がらなくなって、いきなり再インストールしたという苦い記憶がある。

 メール&ブラウザにはずっとOperaを使っているのだが、これも、英文スペルチェッカが使えるようになった。まぁ、あれこれ試行錯誤の末、日本語版から英語版にしたということなんだが…。こういう外来のメーラーを使っていると、私のところによくくる英文のスパム&ジャンクメールをすべてほとんどきれいに濾してくれるので便利である。
 日本語フォント対応にさせるため、少しカスタマイズしないといけないが、これまた結構楽しかったりして…

 しばらくご機嫌な日々が続きそうで、めでたい。

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回遊魚の考察について

久しぶりに、ココログにやってきた。
 なんだか、いつのまにか3ヶ月も経ってしまった…。

 まぁいいか、人生は長い(爆)

 いつのまにか2004年が暮れて2005年が明けた。あれこれ調子を崩していたので、今年は年賀状もクリスマスカードもパスして、楽ちんな正月だった。

 2004年は、吉凶混合の年だった。
The darkest hour is that before the dawn というではないか。真っ暗闇を通らないと夜明けは来ないのだ。

 正月にはresolution(新年の決意)をするのが西洋の習わし(日本でもそうだろうけど)、何を決意したのって聞かれたけど、なかなか公明正大に言えるような決意ではなくて、口ごもってしまった。
 せいぜい I live my life って言うのが精一杯。私は、自分の人生を歩くのだ!

 ちなみに西洋人の新年の決意は、日本人のように何かの「向上」を願うのではなく、野菜をたくさん食べるとか、水をいっぱい飲むとか、そういう「向上」とは関係ないことらしい…

 私の人生のすべての元凶は、うちに生息する「回遊魚」である。別名「ふーてんのトラ」ともいう。つまりは、定住生活をするのではなく、たまに家に帰ってくるという放浪者である。子供の頃のあこがれが「ムーミンに出てくるスナフキン」だから、本人としては、見事、あこがれを現実にしたわけである。
 「回遊魚」および「ふーてんのトラ」は、家庭を持ってはならない。妻子を不幸にするだけである。本人は、気楽に暮らして幸せなのだから、始末に負えない。しかも、大酒飲みで、女癖も悪いからとうてい始末に負えない。
 
 すべての不幸の始まりは、「回遊魚」を夫にしたことにある。

 なぜ「回遊魚」という言葉を思いついたかというと、私には忘れた頃に連絡をくれる男友達がいるからである。数年に一度、忘れた頃に連絡くれて、元気〜?などと近況話をしたら(安心するのか?)しばらくするとまた、音沙汰がなくなる。どうも、「回遊魚」的人間に好かれる運命にあるらしい。

 娘にしみじみ「回遊魚の親玉(夫)」について話したら、「おかーさんも回遊魚になれば」と言われたので、これから私も回遊魚のように優雅な生活を送ることにする。

 これらの背景を何も知らない夫は、娘に「おかーさんも回遊魚になるんだって」っと言われて、「インド洋に生息するのか?」と明るく答えた。

 あほである…
 

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