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2005-02-23

インドの農村地帯

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 突然現れた東洋人におっかなびっくり。子どもたちは裸足だ。

 さて、ムンバイの最終日は、農村地域に案内された。ムンバイから1時間、100キロ圏内が担当地区になっているそうだ。
 大都市ムンバイを離れれば、だだっ広い平原。そこにぽつんぽつんと村がある。村の入り口を入ると、大きな井戸を中心に掘っ立て小屋のような家が建つ。あまりに貧しいが、これは普通の村だという。そこここに、鶏が走り回り、牛も放し飼い、牛糞やら様々なものが入り交じった一昔前の懐かしい臭いがする。テレビなどは、なさそうだった。

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 近隣の地域を含めて一つの村となり、約200人が住む。そのうち、ハンセン病患者は27人。家の前で、Dr.Paiが診察を始める。既に把握されている患者のフォロー・アップである。一人は、進行が認められない(治癒)ので、継続観察。一人には、足に傷が出来て感染しやすいので、特製スリッパを提供することになり、紙に足形を取っていた。こうして、患者にスリッパを提供する。

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 この中で、突然、新たな患者が発見された。子供である。全身のあちらこちらにパッチができている。今まで把握されていない子供だ。実は、この村から少し歩いて幹線道路に出ると、そこには政府のヘルス・ケア・センターがあり、政府の医者が常駐している。そこに行けば、ハンセン病の治療薬がタダでもらえる。治療には、約半年、重症でも一年で治る。Dr.Paiは、近くに診療所があるのに、政府の診療所は全く役に立たないと嘆いていた。こうやって、民間の団体がいちいち村に分け入って、一人一人見なければ、患者を見つけることさえできないのだ。日本のように、行政がすべての住民を把握していて予防注射の案内などの広報活動をするような体制は全くできていない。政府は、全く、何も、村人のことを把握していない。

  次に別の村に向かった。ここでは、足に変形の出ている患者がいた。神経が冒されるために、足に傷が出来ても全く痛みを感じず、さらに傷がひどくなる。ここでは、包帯などのドレッシングキット(dressing kit)を渡していた。このキットの中には、包帯、ガーゼ、脱脂綿、antibiotic powder(抗生物質の粉)、そして洗濯粉(!)が入っている。このキットを渡されて、患者は日々自分の傷を保護するよう、ケース・ワーカーから指導を受ける。

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  さらに別の村に向かった。ここは、先ほどより少し裕福な村。各家にテレビがある。ここでも、指に変形の生じた患者にhand gearを渡していた。母と息子が患者の家を訪問する。母は、40年前にAcworthハンセン病病院に2,3年かかったことがある。治癒しているが、変形が残っている。息子の方に、特製スリッパを提供することになり、息子の足形をとる。

  午前中いっぱいかかって、3つの村を回り、診察した患者は10人未満。いかに、気の遠くなる作業かということが分かった。Dr.Ganapatiが、資金が足りない、ワーカーが足りないというのも分かる。ここで、ボンベイから100キロ圏内。100キロと言えば、京都を中心にすれば、名古屋までが入ってしまう。そう考えると、日本の小ささと、インドの広大さが思いやられた。

余談:
 最後に回った村で、「水」を出された。冷蔵庫で冷やした水(貴重!)とポテトチップ、歓待してくれている。出された水を、飲みませんというわけにはいかない…。飲んだとき、なにやらヘンな味がした(井戸水かなぁ?と思った)だが、おばかな私は二杯も飲んだ…

 その晩と次の日、私とYさんは猛烈な腹痛と下痢に悩まされた。うう、やばい…。でも、熱は出なかったし大丈夫だろう…。うなりつつも、なんとか日本にたどり着いて、やっぱり心配なので医者で検査をしてもらった(コレラとかいろいろ)。結果は、すべて陰性。医者いわく、たいした菌は出ませんでしたが、おそらく何らかの大腸菌にやられたのでしょうね…だそうです。免疫が一つできました(;^_^A アセアセ…

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コメント

ハンセン氏病のことは、岡山にいた頃から聞いてはいましたが、実際に療養所を訪ねて行ったのは青森に移った20年前からです。
目の見えない方に聖書を読んであげている人について毎週療養所に行き、聖生会という療養所内のプロテスタントの教会の方の家で僕は時を過ごしていました。
冬になり、雪かきのワークキャンプが企画されたので、なかば強制的に連れて行かれ、何軒かのお宅を訪ねました。夏には盆踊りにも参加し、相変わらず療養所の人たちの勧めて下さる食事やお酒を飲み食いしていました。キリスト教は、一緒にご飯を食べる宗教ですが、差別の中にある彼らにとって、すでに保菌者でもないのに、一緒に食事をしてくれる人はいないのです。こっちは貧乏学生ですから、出して下さったものはすべてありがたくいただきます。彼らのつばが飛んだものもおいしくいただいていました。ちょっとびびった自分の中に、非科学的な部分とともに、差別観があるのを許せなかったからです。だからと言って、自分の中の差別心?が無くなるわけではないのですが。でも、療養所の方々のお話を聞いて、僕は洗礼を受ける決心をしました。キリストに従う人生を歩もうと思ったのです。
ところで、前牧師がタイに行ったのは、タイでもう20年以上もハンセン氏病の看護婦さんをしている信徒がいる(正確には「いた」)からです。この人とは、僕は青森で知り合いました。とても真似はできません。でも、彼女や好善社の働きを少しだけ支えさせていただいています。これが、僕の原点を見つめ直すことにつながっています。
書き始めたら止まらないのでやめます。
めぐさんは、いつインドに行くのかな?

投稿: kajipa | 2005-02-25 21:52

カジパさん、こんにちは。
 明日の早朝、インドに発ちます。今日は、娘の大学入試試験で、一緒にお泊まりでした。ホテルから入試会場まで無料送迎バスが出ていて、感動しました。
 実は、先月私は生まれて初めて、岡山のハンセン病療養所の邑久光明園を訪ねました。そこで、金地さんという舌で点字の聖書を読むというおじぃさんに会いました。二十歳代で失明したそうです。
 いつしか金地さんの話は証になり、ものすごく感動しました。写真も撮ってあるので、帰国後にこの話を書こうと思います。ほんと、元気がいっぱいもらえるおじぃさんです。こっちの方が励まされてしまいました。

投稿: めぐ | 2005-02-25 22:56

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