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2005-05-12

中村屋のボース

bose久々に、おもしろく本を読ませてもらった。

 「中村屋のボース」-インド独立運動と近代日本のアジア主義- 中島岳志著 白水社

 新宿中村屋は、日本で最初にインドカリーを売り出したところである。今、スーパーやコンビニに行けば、「中村屋のインドカリー」が売られている。この中村屋にインドカリーを伝えたのが、インド独立運動の志士ラース・ビハーリ・ボースである。のちに中村屋の娘と結婚をし、とうとう故国に帰ることなく日本で亡くなったボースの評伝を著したのがこの本である。
 
 実は私は、月餅が大好きである。月餅といえば、中村屋の月餅。特にくるみ入りが好きなのだが、この月餅の中村屋とインドカリーの中村屋、同じ中村屋だとは新宿中村屋のホームぺージを見るまで知らなかった。元々がパン屋だった中村屋にインドカリーを伝えたのがボースだったとしたら、同じ中村屋が月餅を売り出すきっかけを与えたのは、かの有名な「孫文」を始めとする中国革命家だ。戦前の日本、特に中村屋を中心とした「サロン」には、犬養毅を初めとした蒼々たる面々が名前を連ねていた…。

 非常に読みやすい本であり、ぐいぐいと引き込まれる。かつて、日本とインドはこんなに近しい関係であったのか、遠く日本から祖国インドの独立を願って奔走していたインド人がおり、それを支える人々がいたこと、その時代に翻弄されていく様子が豊富な資料をもとに生き生きと描かれている。インパール作戦がインドの独立をも目指したものであったこと、「怪傑ハリマオ」が実在の人物だったことなど、新たな発見がたくさんあった。インドの独立を願いつつ、大東亜共栄圏の美名をかりた日本の植民地主義の現実に、自己矛盾を引き起こして引き裂かれつつ、それでもインドの独立を願ったボースの心情に心うたれた。
 
 この本を読んで思ったのだが、イラク政策にしても国連の常任理事国入りにしても、日本のダブルスタンダード的な曖昧なスタンスって、結局、戦前から全然変わってないじゃない…。「大東亜共栄圏の夢」と「植民地主義の現実」というコインの裏表は、現在の「アジア論」の中に形を変えつつしっかりと根がつながっている。。

 大学で史学科に入ったとき、最初に読んだのは「歴史とは何か」E・H・カーの本だった。常に現在に、今の世界に戻ってこなければ、過去の歴史を学ぶ意味はない。その意味でも、この中島氏の著書は、ボースの評伝に心血を注ぎつつ、現在を見通し鋭い疑問を投げかけてくる。

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2005-05-08

Hard to say I'm sorry

ただいま、かかっている曲はChicagoのHard to say I'm sorry (古~)
 あー切な…
 Everybody needs a little time away
 I heard her say, from each other
 Even lovers need a holiday
 Far away from each other

 最近、カラオケに、しかも外国人の友人と行くことがあって、英語の曲を十八番に仕入れることにした…。今までの十八番は、Queenの'Too much love will kill you'(!これも古~)、そんなに何曲も歌えないので、途中から「日本人やねんから、日本語で日本の歌を情感たっぷり歌うねん」と開き直ったが、まぁもう何曲か仕入れてもいいか…
 英語の歌を歌うと、つくづく自分が日本人だと実感する。いえ、リズムがね、どうしても裏拍で入りそこねて、最初の音が脱落するとか… ううん、歳のせいかも(爆)。

 フラメンコやっているときにも、以前に鏡を見ながら、どうしてこんなに不細工なんだろうとしみじみ考えた。当時の先生に、あなたは鏡に平行に立っているからよと言われて腑に落ちた。その先生曰く、日本人は自然と、舞台に平行に立つ(いわゆる弁慶の仁王立ち)そうだ。能にしてもその動きは舞台に対して横移動及び前後移動の直線的。一方、西洋の踊りでは、必ず、舞台に対して斜めに立って上半身を正面に向ける。立つだけで、立体感が生まれるわけだ。立ち居振る舞いにも、日本人の悲しい伝統が染みついていた…。

After all that we’ve been through
I will make it up to you, I promise to
And after all that’s been said and done
You’re just the part of me I can’t let go

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