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2005-06-16

舌で読む聖書

omote1ご無沙汰しております…

 ようやく昨日の午後、250枚の仕事が終わって、ばんざーいでした。

 夕べ、インドのボランティアの会合が終わった後、ちょっとそのまま家に帰る気分にならずに、家の近くにあるバー(?)に一人立ち寄って、カクテルを二杯飲んで帰った。ちょっと幸せだった。

 蒸し暑くて、ビール!と言いたいところだったが、ビール飲むと後なにも飲めそうもないので、何か、さっぱり系発泡系のカクテル作ってって言ったら、シャンゼリゼという名のワイン系のオリジナルカクテルが出てきた。ブルベリーの味も混ざっているらしい。でも、ちょっと甘みがきつかったので、二杯目ドライマティーニを頼んだら、これが回る回る。
 今度から、一杯だけにしておこう…。でも、お料理も美味しかったし、何より、一人で落ち着くお店が見つかって良かった~

 さて、6月24日、京都大学人文科学研究所というところで、講演会があります。
 ハンセン病の元患者でクリスチャンの方の講演です。この金地さんという方、ご自分の体験を淡々と話されますが、非常に突き抜けた境地を持っておられる方です。私なんかより遙かに壮絶な人生を歩いてこられ、また、目が不自由な中、私より遙かに不自由な生活を強いられているにもかかわらず、いつもこっちの方が励まされ、慰められます。ほんとうに不思議な人です。

 ご興味のある方は、ぜひどうぞ、入場無料です。
 6月24日 京都大学人文科学研究所大会議室 
 午後14時半~(14時会場)

 京都大学人文科学研究所のHP
 京都大学人文科学研究所

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コメント

この「私なんかより」と「私より」ってとこ、
それなりに“ミソ”でんな・・。(^ ^ゞ
本旨についてコメントせんで、すみません。

と、一人で落ちつける店、必要ですね。

投稿: ぎかく | 2005-06-17 10:36

そうですね。最近、自分が世界一不幸だと思える大事件が勃発したのです。で、真っ暗な気分でいたら、目の前に、大人になっておたふく風邪にかかって2週間苦しんだ友人(男)が…。お医者さんに結婚してますか?子どもはいますか?と聞かれたそうで、一人子どもはいるのですが、その話を聞くと、こっちはこっちで不幸かもしれないと…
 幸せ不幸せは、相対的なものなのかもしれません。

投稿: めぐ | 2005-06-17 17:11

講演会、いかがでした?
僕がクリスチャンになったのは、一つはハンセン病の人たちとの交流を通して。もう一つは知恵おくれの子どもたち、重度身体障害を持つ人たちとの交流があります。なぜ自分はそうでないのか、というようなことを考えていました。
そうそう、この人と出会うと、必ずクリスチャンになる、というハンセン病の療養所の人とも出会いました(クリスチャンになったあと)。
仏教のお坊さんも改宗してしまったそうです。もちろん、体のあちこちが動きません。それでも人間には人格があり、神様はその人を愛している。こういうことが、仏教の中ではどのように理解できているのかなー?

投稿: カジパ | 2005-06-25 09:42

講演は素晴らしかったです。実は、主賓の金地さんが病気で倒れられて、金地さんはビデオ出演、あと、急遽ピンチヒッターの近藤宏一さん(同じく舌で聖書を読むキリスト者)という方が講演されたのです。あとは、療養所の所長(お医者さん)、以前に作られたドキュメンタリービデオの上映なのでした。

 今回、一番良かったのは、様々な人の立場の意見や気持ちが聞けたことです。
 国(行政)の立場、施設側(患者のお世話をしている側)の立場、入所者の立場それぞれの立場の意見が聞けました。入所者の中でも、人それぞれで温度差がありますし、金地さんと近藤さんの間でも、少しだけ温度差があります。近藤さんは同じクリスチャンですが、闘争を経験されています。その温度差の中に、その人が背負った人生やら生の声が聞こえて、非常に良い講演でした。
 ハンセン病の問題は、ともすると「人権やら国の政策の間違い」という点で、責任追及やら闘争化しがちなのですが、そういう立場一辺倒になってしまうと、落ちてしまう視点がたくさんあると思うのです。
 また、キリスト教の福音の話ばかりだと、これまた、同じ種類の話になってしまう(^^;傾向があります。

 その点、あの講演会は、非常にバランスの取れたものだったと思います(いろいろな立場のことが一度に分かって、非常に勉強になりました)

 講演会自体は、非常に長丁場になって(3時間半)、盛りだくさんでちょっと疲れたけど、疲れを感じさせない講演会でした。

投稿: めぐ | 2005-06-25 10:50

うん。
基本的には、そういう姿勢は大切だと思います。
とりあえず、誰が決めたかわからないけど線引きをして、あっちとこっちにいる(いさせられる)人から話を聞く姿勢。
でも、医師の中のバラエティはかなり広いと思う。
もちろん、他者に対する(元)患者の態度もバラエティに富んでいるけど。
昔、療養所にお住まいの方々の家を突然訪問し、お話を聞かせていただくワークショップに参加したことがあります。(参加者兼下働き兼アッシー君)
やはり話をうかがえず、門前払いにあった人もいました。僕は、つばの飛び回る目の前の巻き寿司とビールをガブガブいただきながらお話をうかがいました。

そういえば、6月25日は「救らいの日」でしたね。今日(昨日?)もどこかで講演があったことと思います。目黒とか大阪のあたりで。ずっと生きる、ということの厳しさを感じます。

投稿: カジパ | 2005-06-26 01:44

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