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2005-10-09

ボーパール(Bhopal)

bhopalこのところのもっぱらの話題は、インドで出会ったフライトトラブルのこと(「インドから無事帰国しました」の記事を参照)
会う人ごとに、いかに大変だったかを話し、最後は、アーメダバードからの飛行機に雷まで落ちて、赤い火花が散って、機内が一瞬真っ暗になった話をすると、みんな一様に怖がってくれる…
 
 ところで、大きな発見をしたのだが、この話を外国人にすると、ほとんどが「ボーパール」の地名に反応するのである。この同じ話を日本人にしても、「ボーパール」ってどこ?って顔をするのだから、この差は大きい。外国人が、「ボーパールって有名なところだよね。ほら、あの化学工場の事故のあった…」と言いだすと、私は「すごーい、よく知っているね」と、その度に関心していたのだが、どうやら、欧米人特にアメリカとカナダ人にとって、「ボーパール」という地名は、日本人のほとんどが「チェルノブイリ」と聞くと、あーと思うのと同じ比重で、大変有名かつ重要な地名らしい。

 そう、1984年、ボーパールでは、世界史上最悪の化学工場爆発事故が起こり、一瞬で数万人もの人が亡くなった。ユニオンカーバイド社(米国系外国資本)が起こした事故で、猛毒のイソシアン酸メチルが63トンも大気中に放出されたのである。このイソシアン酸メチルのもとは、第二次大戦でドイツ軍が開発し、使用禁止になっている毒ガスのホスゲン。シアン(青酸)系の薬物で、一瞬で、体内の酸素を運ぶ酵素を破壊して脳死にいたらさせる。しかも空気より2倍も重たいこの気体は地面をはい、その上に複数の毒ガスが重層的に重なって漂っていった。この事故、補償もまた刑事責任も曖昧なまま(責任者は逃亡)で、今なお多くの課題が残されているのだが、この事故をきっかけに「基金」が設立されて、ここボーパールに大きな病院(大学を併設)が建設された。

 ボーパールで行なったコンサートは、この病院の音楽堂を借りて行われた。コンサートといっても、どちらかというとインドムンバイで現在行っているスラムに学校を作っているNGO活動のPR。このボランティア団体がもともと音楽を主体とした活動をしていた関係で、音楽と、小学校の先生によるプレゼンテーション(姫路の小学校の先生が、学級活動でインドのスラムの子どもたちと交流した)、そして、自分たちがやっている活動の報告を行ったのである。

 コンサートでは、司会をやらせてもらったのだが、コンサート全体を英語で司会をやるのは初めて…。コンサートは生ものなので、突発的な出来事&事故が発生する。その度に、時間を埋めたり、間を持たせたりしなければならないのだが、最初は慣れないので、台本に頼ってしまった。台本に頼ると、どこまでしゃべったかが気になる。結局、途中から、(話す内容は頭に入っているのだし)台本を外してしゃべればいいんだ!ということを発見。会場の様子を見て、アドリブも入れられるようになって、少しは進歩したかと思ったが、自己採点としては60点かな。

 今回、会場には子どもたちが多く来ていた。子どもたちはあんまり英語が分からない。今回挑戦したヒンディ語による「野バラ」の歌詞の解説(絵本付き)と、ヒンディ語に翻訳した(^^;「ぞうさん」ヒンディー語版は、大いにうけて(日本人が下手なヒンディ語を駆使するのが、微笑ましかったらしい)、ちょっと、嬉しかった… ヒンディ語版「ぞうさん」では、とうとう、マイク持って歌うはめになり、下手な歌手デビューしてしまった(^^)。ご愛嬌。

 ボーパールの事故に関しては、「ボーパール午前零時五分」という本を読んだ。うーん、ともかく悲惨。村ごと全滅したところもあるのだが、そこでただ一人生き残った人は、ヨガの修験者。3分から4分に一回しか呼吸をしないという修行をしていたため助かったらしい。
 

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