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2006-09-17

日本に連れて帰りたかったもの

Tailor

インドのレポートも、これにて一旦終わりにしまーす。
そうそう、最後にどうしても日本に連れて帰りたかったものがあります。それは、仕立屋さん、テイラーです!

 もう、めっちゃ便利~。

 町の仕立屋さんは、ミシン一台でできます。だいたい、ミシンが一台入るか入らないかの小さな小屋にすぽっと収まっているか、店先にミシン一台出して座っています。

 既製服のチュリダーが大きかったとき、「ここ、大きいから切って」というと、上のワンピースと下のズボンが、半日でちょうど良い寸法に仕上がって来ます。ほんの100円ほどで。

 Tちゃんがサリーを買って、それを着せてあげたのだけど、サリーの布の端がきれっぱしになっているのが、あんまりにかっこ悪いので、「ちょっと、おいで」と、そのままTちゃんをテイラーに連れていって、「この子のここ、直して?」というと、「着たままかい!??」と言いながらも、笑いながらすぐにささっと直してくれた(写真)。10ルピー(30円)(小さい頃、さんざん母親に、『服を着たまま繕ってはいけません。どうしても脱げないときは、「脱いだ」とおまじないを言ってからしなさい』と言われたけど、絶対、インドにも同じ言い伝えはあると思う…)

 今、私の家には、スカートの裾がほつれたものなど、繕い物がいっぱいあるのだけど…。インドに持って行って直してもらいたい…

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モンスーン教室の子どもたち

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インドに行った目的は、このモンスーン教室の子どもたちに会いに行くことだ。

3年ほど前から、「光の音符」という団体とムンバイのNGO「ボンベイ・レプロシー・プロジェクト(BLP)」が共同で、アクウォースハンセン病病院の敷地内にある教室を支援している。この教室には、スラムの子どもたちを始め、ハンセン病患者の子どもたちなど、学校に行くことのできない子どもたちがやってきて、読み書き、算数、英語、マラティ語の勉強をしたり、大きな子どもたちにはテイラー(仕立て)の技術をみがいたりしている。

子どもたちには、そのまま公立学校へ通えるように指導もしている。学校に行くのに必要な学用品、制服や靴、学用品を入れるかばんなども支給している。最初に訪れた時は、みんな裸足だった。今回は、靴を履いていて感激。

この教室、ずっと前からシスターが面倒を見ていてくれていたが、資金が乏しく、存続が危ぶまれていたので、財政的にバックアップすることになったのだ。BLPは、ハンセン病の専門医の集団なので、子どもたちの健康管理も定期的に行ってくれている。

私たちが支援するようになって、まず、昼食を出すようになった。一日に一食でもともかく栄養の行き届いた昼食を出すことは、子どもたちの健康にもよく、また学校に来る動機付けにもなる。シスターの話を聞くと、常時教室に来ている子どもは、40人ほどだが、昼食だけを食べに来る子どももいて、多いときは70、80人になる。

半年、あるいは一年に一度は、このモンスーン教室を訪ねて、活動がうまくいっているか見て、また話をし、またいつも面倒を見てくれているBLPのスタッフと話をしている。

今回は、日本でリコーダーの指導をしている方がインドに興味を持ち、インドでもやってみたいとおっしゃるので、リコーダーを持って行って、「音楽教室」をやった。以前、ムンバイの日本人学校で働いていた先生(今は、日本で中学校の先生)が、時々休暇でムンバイを訪れては、ご自分がずっとされている「少林寺拳法」(向こうでは、なぜかみんなカラテと言うが)を教えてくださってもいる。ブレークダンスの教室も行った。そして、いつものミニコンサート。子どもたちが歌と踊りを披露し、私たちも音楽のプレゼントをする。

今回は、4日間通い詰めたので、子どもたちともどんどん仲良くなった。半年前、一年前に会った子どももいて、名前を覚えていてくれる。もちろん、同じ子どもに会えるわけではない。スラムでは、家族ごとに移動が激しい。ムンバイからデリー、カルカッタと家族単位で移動することがよくある。去年来ていたあの子が、今年は顔をみないということもよくある。

毎日、教室が終わったら、「カル、ミレンゲー(また明日ね)」と言って別れる。
子どもたちがやって来て、「また明日」のおまじないを教えてくれる。人差し指と小指を向かえ合わせに合わせ、そのまま親指をくっつけて、くるっと回して握手。これが、「また、明日」のおまじない。

毎日、「また、明日」のおまじないをして、最終日、「もう明日がないんだよ~」と日本から一緒に行ったTちゃんは大粒の涙をぽろぽろ流した。

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2006-09-16

恐るべしムンバイ(手品詐欺)

 やはり書いておかなければなるまい、手品詐欺。。。

 勝手知ったる我が町ムンバイなどと思っていた心の隙を突かれてしまった。しょせん、ムンバイは「生き馬の目を抜く都会」、都会の恐ろしい一面を持っていたのでした。。

 空港に着いて、タクシーを探して乗ると、助手席に男が乗り込んで来た。この場合、直ちに降りないと100%トラブルに巻き込まれると、そういえば、読んだことがある…

 私もイヤだなと思いつつ、いらない、いらないと言っていたのだが、ドルをルピーに両替してやるという。ケララでお金を使い果たした私は、昨日の晩ベットの上に20ドル札を一枚、二枚、三枚、四枚、五ドル札2枚、と1ドル札一枚を並べて、あー、91ドルしかないと勘定していたのだった。

 ホテル代は別に置いてあるが、CITIBANKの残高も心細く、このドルを使ってしのごうかどうしようか考えていたのだった。

 そこを、つかれた!
 かなり良いレートだったので(そんなワケないやろ)、ともかく60ドルだけ両替しようと思って、60ドルを渡して3000ルピーを受け取ると、もう少し換えないかという。。

 えー、ちょっと待ってと言って、とりあえずこの3000ルピー返すから、一旦60ドル返してっていうと、あら不思議、今渡したばかりの20ドル札3枚の、一番上を残して下二枚が1ドル札に変わっている…

 ほんと目の前、一瞬のこと、目も離した覚えないのに…

 ええええ?我が目を疑いましたがな。財布の中を見ても、お金がない、夕べベットの上にお札を並べて数えたなけなしの91ドルなので、間違うはずはない。

 「やられた!!」向こうはそっちが小額紙幣と間違えたとかなんとかいうが、私は「降りる!」と言って、鞄を下ろして、「あいつが私のお金を取った!」「あいつは詐欺だ!」と叫びながら歩き出した。

 そこへ、「どうした?僕のタクシーに乗ったら?」という男が現れる。そのままタクシーに乗る。

 タクシーに乗ると、運ちゃんが「どうした?」という。事情を説明すると、「あいつは悪い奴だ(He is bad man)」と言う(なんだ、知ってるんだ)。僕からのアドバイスとして、タクシーは空港の外で捕まえないといけないよという。

 つらつら冷静になって考えると、こうやって助けてくれた人間も一味だということがよくあることだ。。。がーん。

 ムンバイは空港から南の方向。地図は大体頭に入っている。今は午後で、太陽はこちらの方向で影がこうできているから…とタクシーの影を確認すると、とりあえず南の目的地に向かっているようだ。

 いつも働いているスラムの近く、チュナバティやダラビ地区を通り過ぎる。タクシーの運ちゃんも「ここがムンバイの最大のスラム、ダラビ地区だ」という。「知ってる。ここで働いているもん。ここに学校を作っている。。だけど、あんた何でハイウエイ使わないの?そこにハイウェイあるでしょう?」「いや、ガネーシャ祭りで通れないんだ」(嘘つきめ!)

 ダラビに言及するということは、この運ちゃんもおそらくこのスラムの住人なんだろう。
 「運ちゃん、どこの出身?」(あんたがムンバイ出身でないことは知っているよ)
 「えーー(とたじろいで)、ウッタル・プラデーシュ州」(少し、田舎のことを思い出したか、歯切れが悪い)
 「(やっぱり)そうなんだ…。何語しゃべるの?」
 「ヒンディー語」
 「そうなんだ」
 「ところで、あいつだけど、あの悪人」
 「あー、あいつはエージェントだ」
 (エージェント?エージェントってことは、どう考えても、こいつも仲間ってことじゃん…)
 
 と思いつつ、とりあえず目的地までは行ってもらうことにする。

 さて、目的地で。
 100ルピー札4枚渡すと、運ちゃんはあと50ルピー出せと言い張る。「さっき、350ルピーを400ルピーにしたじゃん。あんた、自分のこと『良い奴』って言ったんちゃうん」(そんなのが通るはずもない)
 
 今渡したばかりの100ルピー札4枚、ふと見ると3枚になっている。しかも荷物を質にとったみたいな脅し文句を言い出す。

 それを見た瞬間「こいつもやっぱり一味か!」と、あったまに来て、その札3枚を投げ捨て、50ルピーだせばいいんやろと50ルピーも投げ捨てて、タクシーから飛び降りた。

 にやっと笑った笑顔に凄味があった(おお、こわ~~)

 タクシーを降りると、目の前に集まってきたクジャクの羽のうちわを持った少年。2年前から知っている(しつこく追い回されたため)。。「あんた、大きくなったなぁ~」というと、にこっと笑った。

 トラブルはこれだけではなかった。予約していたそのホテル、泊められないというのだ。別のホテルを紹介するという。系列ホテルだから大丈夫というけど、今夜深夜にムンバイに到着する残りの日本人5人に連絡しないといけないし、そんな急な変更は困ると、さんざんごねたが糠に釘。

 そこから1kmほど離れた別のホテルに送ってくれた(向こうがお金を払ってくれた)。新しいホテル、同じような建て方のホテルで、感じもよく、後になって分かったのだがビジネス街の一角にあるため、いろいろ便利で食事どころも多いことが判明したのだが、その時は、ダブル、トリプルパンチでかなりのダメージを受けていた。

 ホテルについて、すぐムンバイのパートナーNGOに電話を掛けて、ホテルが変更になったこととお金取られた話をする。残りの日本人5人の迎えについては心配するな、あなたも今度からは休暇だからとか言わず、遠慮無くうちの車を使えと暖かい言葉をいただく。

 慣れた頃が一番危ないってホントでした。
 その日は、誰を見てもドロボウに見えたので、ずっとホテルに籠もってました…

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アレッピー

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アレッピー、間違いなく今年最高の場所だった。

 道路からさらに100mほど入ったところにあり、湖畔に面している。

 何もすることがなく、また何もする必要もなかったので、一日、ぼぉっと湖畔を見つめていた。舟が行き交う。日本にあるような竹一本で操る舟、カヌーのオールのようなもので操る舟、そして一本の櫂で操る舟。

 夕方になると「通勤客」が舟で帰って来る。

 目の前を、ハウスボートが行き交う。これはエアコン付きの寝室とダイニングが付いた「家の舟」で、24時間一泊三食付きで6000ルピーほど(18000円)。西洋人のカップルが、よく乗っていた。まぁ、そういう感じの舟です。。多分、自分が乗ることはないかな。。。

 夕闇が迫る。
 
 のんびりと時間が過ぎていく。

 お昼には、アーユルベーダのオイルマッサージショートコース1時間をやってもらった。マッサージのせいか、夜は早々に眠たくなり、朝までぐっすりと眠れた。これまでの疲れが全て抜けていった。

 次の日の朝、カヌーに乗せてもらう。きれいな蓮の花の咲いている場所をしっているのだろう、そこへ連れて行ってくれて、蓮の花を手折ってくれた。美しい。。

 この湖では「ボートレース」が行われるという。スネークボート(snake boat)という非常に長い舟で、なんと95人も乗るのだという。明日のレースに備えて練習を始めた。非常にラッキー。

 カヌーを乗せてくれたサージによれば、フルに人数を乗せて、船際が湖面のレベルとギリギリ同じになるほうがいいという。つまり喫水線が水面に近い方が、櫂でこぐときに深く入るので、楽に漕げるし、またスピードも出るのだという。ほぼ4分間漕ぐとゴール。5分も漕げば死にそうになるんだそうだ。

 サージはなぜか、その後カヌーで自分の家に連れて行ってくれ、自分が飼っているペットのセキセイインコとハトと鶏を見せてくれた。

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Snakeboat

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2006-09-15

トイレで語学交換

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再び船に乗ってホテルに戻る前、お手洗いに行きたくなって公衆トイレに行った。インドの公衆トイレには、トイレの番人がいてお金を払う(2ルピーか3ルピー)。そういうトイレは、掃除を定期的にしてくれているので、意外ときれいなのだ。

 そこのトイレの番人、レイミーが、私を見るなりこっちに来いという。なんとトイレで番をしながら、「日本語」の勉強をしている。ノートにびっしり、日本語と英語とケララ語が書いてあって、今までここにやってきた日本人に少しずつ日本語をならっているようだ。もうノート半分以上が日本語で埋まっている。それを見ながら、片言の日本語で話しかけてきた。

 あんた、エライじゃん~。と、日本語を教えてあげる。言うまでもなく、トイレで番人しているレイミーは、カーストとしては最下層、それでも向上心を持って勉強しているのに感動してしまった。あれこれ教えてあげていると、チャイを飲むか?と聞かれる。ありがとうと言うと、近くのチャイ売りからチャイをもらってくれ、それをいただく(トイレでチャイというのも何ですが(^^;;)

 代わりにとレイミーも私にケララ語を教えてくれた。ノートに半ページ、びっしりと基本的なケララ語を書いてくれた。あと10分で船が来るからとか言いながら、結局その船は行ってしまった。

 30分ほど語学交換をしただろうか、次の船が来るのと、そろそろ「あそこいかへんか、ここいかへんか」という「お誘い」がしつこくなってきたので退散する。それでも、チャイご馳走になって、トイレの使用代3ルピータダにしてくれて、その上、ケララ語教えてくれてありがとう。

 いつか夢がかなって日本に来ることができたら、いいね。

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ケララのコーチン

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さて、いよいよケララへ。

 朝6時半の飛行機に乗るべく、朝5時にホテルを出る。昨日、一番最初に乗ったリキシャのおっちゃんが律儀にも待っていてくれた。昨日乗ったときは、ちょっと走るとすぐにエンコするから非常に不安だったが、今日は車を換えたのか快調。昨日乗ったリキシャの中で、このおっちゃんが一番良かった。今日は朝から、空港まで稼げて良かったね。

 去年は飛行機の国内線でえらい目にあったが、今年は何事もなく無事にケララのコーチンに到着。コーチンの飛行場で見た朝日は、大きな太陽で非常に美しかった。

 実は、ケララのホテルは全く予約していなかった。どこへ行こうかと思いつつ、ガイドブックであたりをつけておいたホテルを指定する。ところが、タクシーの運ちゃんは、そこは古い、もっと良いホテルがあるからそっちにしろとしつこく勧める。あんまり勧めるので、じゃぁ、両方見て決めるわ~と答えた。

 インドでは、事前に予約してなくてホテルを決める場合は、必ず部屋を見て(鍵がかかるかとか、雰囲気がどうかとか)決める。部屋を見て断っても何の問題もない。まず最初に予定していたホテルに行くが、どうも雰囲気が良くない。というか、廊下も暗い上に男性のビジネス客が多く、いわゆるビジネスホテルって感じ。

 そこでタクシーの運ちゃんが言うホテルに連れていってもらう。そこで部屋をみせてもらうと、明るくて感じもいいじゃん~、それでもちょっと値段が高いから1ランク下げたいとフロントにいうと、そっちは良くないから、同じ部屋を1ランク下の値段でOKだという。ラッキー!! 朝食付きで完璧予算内! アレッピーからの帰りもこのホテルに泊まることにする。ホテルの部屋はとても良い感じでした。。

 ケララのコーチン、半島の先が別れて島のようになっている。島と島の間は船で渡るのが便利。しかも3ルピー(10円)。日本にもある渡し船風。のんびり船に乗って、島を移動すると、とってもリラックスできて良かった。

 ヴァスコ・ダ・ガマが埋葬されている聖フランシス教会(緑で縁取りされた十字架の薔薇窓が非常に美しかった)へ行き、チャイニーズ・フィッシング・ネット(下の写真)を見て、ダッチ・パレスの商店街をぶらぶらする。

 漁民の寡婦たちが作っているレースを売っているおっちゃんに捕まった。これは漁師さんの寡婦たちを支援する事業だという。きれいなベネチアレース。実は、イタリアのベニスで売っているベネチアレースは、ほとんどがインドで作っているもの。本場では作る人がほとんどいなくなっているからだ。これがね、ヨーロッパに行くと十倍以上の値段で売られているんだよと聞いて、なーるほどとびっくりし、ベネチアレースを購入する(支援金を含めて200ルピー)。

 商店街に「コーヒーショップ」があった。一日に一人ぐらいしかお客がないようなコーヒーショップ。そこのおじいさんが、今は結婚してアメリカとイタリアにいるという子どもたちの写真を見せながら話をしてくれた。老夫婦2人、インドでこの店を守っているという。このおじいちゃんに「ケララサリー」が買いたいのだけどというと、地元の人が利用するという店を教えてくれた。政府の店で品質が良く、値札が付いている(値段が決まっている)という。ラッキー、さっそく行ってみよう!

 その店に夕方寄ってみたが、地元客でいっぱい。しかもフェスティバルのおかげで全品20%引き! めっちゃラッキーじゃんと、ケララサリーとチュリダー(パンジャビスーツ)を購入した。コーヒーショップのおじいちゃん、ありがとう!
 でも、おじぃちゃん、コーヒーはもう少し濃い方が美味しいと思うよ(おせじにも美味しいとは言えなかった(^^;)

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トマスを思う

Chennai

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これは、チェンナイにあるヒンドゥー寺院のカパーレシュワラ寺院。異教徒も中庭までは入れるので、靴を脱いで入ろうと思ったら、追い出されてしまった。。というのも、昼の12時から4時までは閉門しているからだ。

 まぁでも、この塔門(ゴープラム)が見たかっただけなので、良しとするか。これは、南インド特有のドラヴィダ建築のゴープラム。北、あるいはムンバイでもこのような建築物は見ることができない。

 それにしても、賑やかなこと!
 象の形をしているのがガネーシャ(富の神)、沢山の手足をもって踊っているのはシヴァ(創造と破壊の神)、クジャクの傍らにいるのはサラスバティ(美と音楽の神)、青黒い肌をしているのがクリシュナ(愛の神)、そのほかラクシュミ(富の神)などもみることができる。

 トマスの教会の近くの漁村で、海をみながらふと思った。この風景は、おそらく2千年前とそれほど変わっていないのだろう。ここまで来て、海を見ながら、トマスはこの海を越えようと思ったのだろうか。それとも自分の旅はここで終わると思ったのだろうか。港に来る商人たちから、この海の向こうにも大きな国があることを知っただろうか。

 その頃の日本はまだ弥生時代。トマスの耳には届かなかっただろうが、大国中国の名前は耳に入っていたことだろう。

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トマスの教会

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ともかく一日身体を休めようと思っていたので、トマスの教会に行くことだけを目的にした。。

 オートリキシャに乗って、トマスの教会(サントメ教会)へ。。ここは、トマスが殉教した墓の上に建てられた教会で、インドでの主要な巡礼地になっている。着いたところは、真っ白で非常に美しい綺麗な教会。なにやら東洋人のおっちゃんがやってきて、写真撮ってくれるという。ありがとう~。そのおっちゃんは韓国人だった。同じ東洋人をみて親切心が出たらしい。カムサムニダ~と行って、写真を撮ってもらう。トマスの墓は裏にあるから、ちゃんとそっちに回るんだよと親切に教えてくださった。

 中にはいると非常に美しい。。旅の無事とこれからのことを祈った後、前の方に進む。一番前まで進んで、薔薇窓に見とれていて、ふと足下をみると、なにやら人がいる…。。。って、神父さんの頭だ!! 神父さんの頭をガラス越しに踏んじゃったわけ??? ばちあたりめ(--;

 トマスの墓に行こうと裏に回って分かったのだが、トマスの墓が「地下教会」になっているのだ。中に入ると、まさにミサの真っ最中。さっき見たのは、実はこの地下教会だったのだ。そのまま最後まで、ミサに参加する。

 礼拝堂の前面に「トマスの遺品」と「トマスの墓」があり、ガラス越しに触ることができる。ミサが終わった後、迷わず前に出て、遺品を触り、ひざまづいてトマスの墓に触れた。トマスもはるばる、ようこんなところまで来たなぁと思うと、涙があふれてきた。トマスがこの地に来たのは52年、72年に背後から現地の人に槍で突かれて殉教した。

 上の博物館には、トマスを殺した「槍先」と貴重な「骨」を封印した遺品も飾ってあった。

 おみやげ物として、トマスの墓の土を封印した「クレジットカードもどき」が20ルピーで売られていた。財布に入れておくとよいらしい。ということで、20ルピーで購入。

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今日から一人

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十日間のスタディツアーも終わり、みんなは深夜日本に帰って行く。途中、カンチープラムのヒンドゥー寺院、マハーバリプラムの寺院(写真:南インドのドラヴィダ建築の原初形態がみられる)を巡った後、私一人途中でバスを降り、チェンナイ(マドラス)のホテルに向かった。心配したプレマさんが、ムトゥーを私に付けてくれる。ムトゥーがホテルまで送ってくれ、そこで別れを惜しむ。

あー、今日から一人だ~。

スタディツアーは、本当に楽しかったし面白かった。行く前は、知らない人ばかりでかなり緊張していたが、たくさんの個性的な人たちとの出会って、いろいろな話をして本当に楽しかった。日本に帰ってからも、この出会いを大切に、途切れないよう付き合って行きたいと思った。

ホテルについて、さぁ!シャワーを浴びるぞ~と思ったが、案の定(^^; お湯が出ない。。。バスタブもないので(普通、バスタブはない)、ちょっとへこんだ。翌日の朝にはお湯が出たので、ほっと一息。。

スケジュールを一日間違えていて、ここチェンナイで一日余ったのが幸いだった。のんびり朝食を取る。。。ひさびさのコーヒー!ここ南インドはコーヒーが美味しい。チャイと同じ感覚で作られており、つまりはミルク入り砂糖入りのコーヒーである。北に行くとこういうコーヒーは少なく、「ネスカフェ」か「フィルターコーヒー」だ。

朝食には、ラヴァ・ドーサー(プレーン・ドーサー)を食べた。。。このホテルはベジタリアンレストランのついたホテルなので、ヨーロッパ風の朝食はない。。

バンガロール、チェンナイ、ケララなど南インドを回ってびっくりしたこと、それは特にチェンナイのあるタミル・ナドゥ州では英語もヒンディー語も通じないことだ。両方通じないのは辛い。普段、英語かヒンディー語で会話している私にとって、言葉が通じないのは、ものすごーーーいストレスだった。WOLDのスタッフの人たち、そこに集まる人たちといろいろ話がしたかったが、全然言葉が分からなくて、非常に非常に辛かった。いつもいつも、満面の笑みで「ワナッカム(おはようからこんにちわまで)」「ナンドリ(ありがとう」と言ってくれるクマル(可愛くてお気に入りだった(^^;)とも、もっと話がしたかった。

お陰で簡単なタミル語は覚えた。覚えたというより、覚えざるを得なかったということなんだろう。次回は、ごく簡単なものでいいので、タミル語の基本会話を覚えてもう一度来たいと思った(かなりの決意)。

その点、ケララは英語が通じる。教育レベルが高く、どんな人とでも英語でスムーズに会話ができた。州のほとんどの人がクリスチャンで、ヨーロッパからの観光客も多く、全般に生活レベルが上だと感じた。お店もきれいだし、町全体がこざっぱりしている。つまり、それはどういうことかというと、「物価が高い」ということだ(^^; ケララでは、予想外にかなりのお金を散財してしまった。タクシー代も、ガイドブックでは300ルピーと書いてあるが、450ルピーだった(プリペイドタクシーなので一律料金)、一事が万事そういう感じだ。。まぁでも、英語で何でも用が足りるというのは、私にとってはとてもありがたいことだった。。

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Kumal

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サリー

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今回、インド行き4回目にしてようやくサリーを仕立てた。仕立てたといっても、サリー自体は布なので、ブラウスを作って、ペチコートを買ったということである。ペチコートは70ルピーほどで買えるし、ブラウスも仕立ててもらって50ルピーぐらい(ここでは、特別に18ルピーで作ってもらったが、50ルピーは150円)。

インドに行ってびっくりするのだが、サリーのブラウスは短い。。しっかり脇腹&お腹&背中が見える。インドの女性は、肩や足を見せるのは抵抗があるようだが、お腹や脇腹は平気らしい。かなり立派なお腹も、肉が盛り上がった脇腹も平気で見せている。私としては、このお腹を見せるのは、ちと抵抗があるのだが。。

ブラウスは、非常にぴっちりしている。特に、腕やアンダーバストがゆるゆるだと良くないらしく、ぴちっとしているのが好まれる…

サリーを着た感想。。。涼しい~~。お腹と背中がすーすーして、意外に涼しい上に、ペチコートの中に衣装を入れてくるっとひっくり返せるので、お手洗いが非常に楽ちん。普段着ているパンジャビスーツ(チュリダー)は、一種のパンツスーツなのでズボンの裾を気にしなければならないが、それに比べてめっちゃ便利~。

涼しいけど、蚊にかまれそうなので、お腹に虫除けスプレーをかけていた(^^;;

サリー、よく似合っているよ~と言われて気をよくしていたが、「お腹がインド人みたい」ということかもしれない(^^;;

今回、これに気をよくして、「着道楽」になってしまった(^^;

次に行ったケララがちょうど、Onam(オーナム)フェスティバルの時期に重なって、全店大バーゲン!オーナムフェスティバルは、神話に基づいて二年一度行われるフェスティバル。このときは、ケララ中から、あるいは全国からケララサリーを買い付けにやってくるらしい。それをタクシーの運転手から聞いた瞬間に、ケララサリー買うぞ~と一気に気持ちが高まり、とうとうケララサリー(コットンですが)を作ってしまった(どこで着るねんという突っ込みは置いておいて)。そのうえ、安さに目がくらんで(^^;、パンジャビスーツを仕立て(これはサリーの生地から作った)、さらには既製のチュリダーまで買ってしまった。。。(これが、お金がなくなった原因です…)

サリーは、地域によって柄が異なる。写真は、典型的なケララサリー。真っ白の生地に金のボーダーが入る。私が買ったのは、ボーダーの上にいくつか金の文様が入ったもの。
その下の写真は、ハイデラバード特有の柄で、日本の絣に似ている。。。いつか作りたい。。。

Kerala

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2006-09-14

火事騒動

Gingee

この日は一日、観光の予定だった。だが、いくら待ってもバスがやって来ない。結婚式のシーズンで、どうやらドタキャンされたらしい。プレマさんは朝からおかんむりで、あちこち探して遠くの町までバスを手配してくれた。

バスがやって来たのは午後1時。出発の予定が8時なので、5時間遅れ。。まぁ、インドではのんびり待つに限る。。。じたばたしても、体力を消耗するだけ…、ただでさえ暑いんだし(^^;

ということで、ようやく出発して出かけたのが「ジンジー砦」。その昔、この地のラジャが建てた城で、写真はクイーンの城。山の上に建っている。向かいにはキングの城がある。ごつごつとした岩山の上に建つ城。てっぺんまで上るのに約1時間ほどかかるらしい。遠くまで見渡せるという。。

到着したときは、既に遅く、上に登ることはできなかった。

なんせ私は、高いところが大好きで(高所恐怖症のくせに)、塔をみると登りたくなる習性があるので、どうしても登りたくてたまらず、必ずいつかもう一度やってきて上まで登るんだと心に決めたのであった(し、しかし、暑いインドで、山登りは大変かもしれない……)

次に行ったのは「ポンディチェリ」
なんと、このポンディチェリ、フランスの植民地だったのです!インドはイギリスの植民地と思いきや、実はこのポンディチェリとゴアは、フランスの支配を受けていたそうです。当時のラジャがフランスと親交が深く、フランスはイギリスと覇権を争ったものの、「貿易の港が欲しいだけで、政治には口出さない」という約束のもと、とうとう最後まで手放すことはなかったそうです。

ですから、このポンディチェリはインドにあって、フランス語が通じる(フランス語の学校が小学校から大学まである)場所なのです。なんだかフランスの香りがする場所ということで、期待して行ったのですが、着いてみると、わぁ~というほどでもなない(^^; 期待が大きすぎたのかも(^^; 一緒に行ったKさんから「だから、それほどでもないって言ったでしょう」って言われるほど、ちょっと期待はずれでした。

それでも、このスタディツアーが始まって初めて、レストランで食事をするということで、皆期待に胸を膨らませておりました。海岸べりのステキなテラスで、ビールなど飲んで、「名もしらぬ~、遠き島よ~り、なーがれくーる 椰子の実ひとつ」と歌いながら、食事が来るのを待っていたところ…

ワーーーー!!! と後で声がしたかと思うと、インド人がバタバタと逃げて行きます。

ふと振り返って、びっくり仰天!
台所が、天井まで火を噴いて燃えさかっておりました(^^;;;;;

「下に降りましょう!荷物!」と声を掛けてくれる方がいて、下に降りたのですが、階段は台所の近く。火に近づかないといけないので怖い、爆発したら一巻の終わり!と思いつつ、暗い階段を手探り足探りで下りて行きました。

そのうち消防車がやって来ます。

上をみると、テラスには逃げ遅れたフランス人たちが…(可哀相…)
でも、火はそれ以上大きくはならなかったようです。

ホッとしていると、近づいてくるインド人一人。。。店員さんのようです。
申し訳ないと謝ってくれるのかと思っていると、そのインド人は言ったのです。。。

「ビール、何本飲みましたか?」

↓海岸べりの夕闇を楽しんでいるこの直後、火事は起こった。。
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結婚

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「スタディツアー」のレポートはほぼ終わったので、後は、気楽な旅の記録になります。読んでくださった方、お疲れ様~~♪

ラッキーなことに、ヒンドゥーの結婚式をかいま見ることができました。
まずは、前夜式(?)。結婚式の前の晩、まずは花嫁の親族が集まって、最後の食事をとります。しばらくすると、花婿やその親族が到着し、花婿側の親族と花嫁側の親族が「かための食事」をするようです。その時出されるのは、カートと呼ばれるヨーグルトと牛乳の中間のような食べ物(らしい)など。

その後、牛に引かれた飾りごちゃごちゃの牛車に乗って、花婿の家に向かっていきます(夜中)。その頃はもう夜中。太鼓と笛(名前を知りません)の楽団もやって来て、賑やかに音楽を演奏しています。笛のおっちゃんをみると、何かいっぱいぶらさがっています。何がぶら下がっているのかと思うと、なんと笛の「リード」。これから、明日まで一晩、いえ、一日以上演奏し続けるので、換えを持っているのです。

次の日の朝、7時から結婚式が行われていました。私たちが到着したのは9時で、ほぼ結婚の儀式は終わっていました。火の周りを手を繋いで3回回るのが、つまりはこれからずっと契るという儀式、そのほか、ターラーという黄色い花輪をかける儀式、お祝いを受け取る(金製品などを付けてもらう)儀式などがあります。


さて、この結婚式、地域によって全く結婚式の体裁が変わるようです。
ムンバイでお世話になっているNGOのドクター・ラオは、最近、結婚した新婚ほやほやである。ずっと「でれでれ」状態なので、結婚式の写真みせて~と頼むと、大きな大きなアルバムを持って来てくれた。なんつうか、「めくるめく世界(^^;」 写真全部にプリクラみたいな縁取りがしてあって、ほんと目がくらみました…

ドクター・ラオは、カルナータカ州出身で、奥さまもカルナータカ州からもらったそうな。カルナータカ州はここタミル・ナドゥ州の隣の州なのだが、衣装がまず違う。花嫁のサリーは同じだが、花婿は、変わった形の帽子をかぶり、途中まで上半身裸。。ところによって結婚式は変わるそうです。

奥さまとどうやって知り合ったの?と聞くと、「インドでは、恋愛結婚はないから、親が決めてきた」とのこと。カーストの釣り合いなどをみて、後は「星占い」で決めたそうな。インドでは、結婚相手を星占い(非常に細かな星占い)で決めることがよくあって、それで、相性ぴったしという相手にしたそうな。それにしても、ドクター・ラオの奥さまは、美人でした。文句はないわなぁとふと思いました。

相手を見て、気に入ると、即、婚約式。婚約式から結婚式までほぼ3ヶ月で、時々(制限付きで)顔を合わせて話をすることはできるそうです。

「手を繋いで、火の周りを3回回った?」って聞くと、「もちろん、でも、7回回った」とのこと。「7回も?」「うん、7回回ると、7世に渡って相手と一緒になるんだ~」と嬉しそうに言うドクター・ラオ相手に、私は一言「too much(^^; 長すぎ~~」。1世ももたなかった私にとって、7世は気の遠くなる時間なのであった。

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2006-09-13

裸足の感触

インドにいると、普段は眠っている感触が呼び覚まされる。まずは指、手でご飯を食べるのにもすっかり慣れてしまいました。

ケララに行ったときのこと、町中を歩こうと思ったのが間違いだった(^^; 暑い!しかも地図を読み間違えていて、反対方向やし!もうへろへろ…。人気のない海岸沿いを歩いているうちに、なんと間の悪いことに、突然ぱらぱらと雨が降って来た!モンスーンの雨はすごい、突然、滝のような雨になる…。傘、ホテルに置いて来た~~。

ということで、目の前にあった、Taj Residencyというホテルに飛び込んだ。タージホテルは、インドで名高い高級ホテルチェーン。ムンバイのインド門にあるタージ・マハール・ホテルの系列である(インドの財閥TaTa氏が、イギリス植民地時代に受けた屈辱を見返すため、このホテルを建てたときに「イギリス人と犬はお断り」の看板を掲げたことで有名)。

昼時だった。
インドのホテルは、ホテル代は高いがレストランは意外に安い。そこで、レストランに入った。が、がーん、嫌な予感がする。。。な、なんか、バイキングのビュッフェスタイルだけしかないみたい。。。席に座ってから、値段聞くのもかっこ悪い…ということで、早々にあきらめて、久々の「肉食」を楽しんだ。

みんなと別れてから4日ほど、ずっとベジタリアンの食事ばかりで、突然「肉、食いたい~!!」状態になっていた。さっそくチキンカレーを取ってくる。

皿に載っているのは、骨付きチキンのカレー。でも、ね、高級ホテルだから、白いテーブルクロスの上に、フォークとかナイフとか置いてあるのよ~。

「どうやって食うねん!」
ということで、迷わず、手でむしって、手で掴んで食べた私(^^; 後で、ちゃんとフィンガーボールを持って来てくださいました。
日本で食べているような普通の「ケーキ」を食べたのも久しぶり。。。

だが、これはこの旅行で最大の後悔だった。だって、400ルピー(1200円)もしたんだもん。ミネラルウォーターも頼んだので、約500ルピー、な、なんでミネラルウォーターが75ルピーもするねん。。。

ということで、インド人と同じく、手で食べるのにも慣れ、気がつくといろいろな具材をぐちゃぐちゃと混ぜ合わせて食べているし、すっかりインド風に慣れてしまいました。

「足」もそうです。。。
インドでは、お寺や教会などの神聖な場所、家に入るときには、日本と同じく靴を脱ぐ。食料品店などに入るときにも、靴を脱ぎます。

ヒンドゥー寺院に行くときは、大変!というのも、敷地に入るところから靴を脱がないといけないからだ。焼け付く太陽のもと、地面の温度は50度近く(に思える)。何mも参道を歩かないといけないが、あっちっちっちっちっちっち。。。影を探して、走り込む。

異教徒はヒンドゥー寺院の神殿には入れないので、本来入れないはずだが、フィッシャーマン(漁民)カーストの方がWOLDにいるため(漁民の守り神であり、そこで長年働いている)、特別に入れてもらった。中は暗い上に、水浸し、なんかいろいろなものが流れている。水に油、お参りに使う染料(ターメリックの粉とか、赤い粉)が混じった複雑な色をした液体、ごみ、花びら…。そこを裸足で進んでいく。ぬるぬるしているし、いろいろな感触がする。。。

下は見ないでおこう(^^;

ここの神殿は、土着の女神(アンガルマン)を祀っており、遠くから沢山のお参りがあるという。漁民の守り神である。大蛇が地面の下に隠れているらしい。それを押さえつけているシヴァのリンガ(記憶が少し曖昧なので間違っているかも)。神殿内は写真撮影厳禁なので、写真はありません。

最初は裸足になるのも抵抗があったが、あちこちで裸足になっているうち、裸足になるのにも慣れてしまった。WOLDの宿泊所でも、気がつくと裸足で歩き回っていた。。。裸足は、気持ちがいいかも。。

写真は神殿の外にあった女神さん、不妊の女性に人気があるということで、足に願いを込めたお守りが結びつけられています。お布施をはずんで(^^;撮らせてもらいました(^^;

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床絵

南インドの村に行くと、戸口の前に白い粉で、綺麗な文様が書いてある。この文様、いろいろなパターンがあります。WOLDでも、毎日プレマさんが様々な文様を書いていました。蛇もあれば、唐草文様もあり、毎日見ているだけでも飽きません。

そのカラーバージョンがこれ。
WOLDには、ダリットの人たちの他に沢山の低カーストの人たちもやって来ます。アウトカーストではない、カーストの人たちの村(漁民カースト)に行ってみようと訪ねたとき、ものすごくカラフルな床絵で迎えてくれました。これは、塩に染料を混ぜたもので作ったとのこと…。

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いくらカーストが低いとはいえ、やはりダリットの村に比べれば豊かな感じがしました。みんな、押すな押すなの大騒ぎで、大歓迎してくれています。WOLDは、ダリットの村だけではなく、このような低カーストの村でもSHG(自助組織)を作っており、こういう村ではダリットの村に比べれば、基本的な読み書きや計算、商売などに関する知識が豊かなため、短期間で大きな成功を収めるそうです。


WOLDには、他にも「ヒジュラ」と呼ばれる人たちもやって来ていました。ヒジュラとは両性具有、つまりトランス・ジェンダーの人たちの集団です。

インドでは、生まれた時に両性具有(いわゆる「ふたなり」)の子ども、あるいは成長している途中でどうもトランス・ジェンダーだと思われる子どもたちを、ヒジュラの集団に入れ、その中で育てる慣習があるそうです。大人になってから、結婚に困難を覚えて、自らヒジュラの集団に入る人たちもいるそうです。

あるがままに受け止めるインドの人たち。人間の中では、一定の比率でトランス・ジェンダーとして生まれる人はいるのではないか、でも日本や西洋社会では、社会的な規範の中で無理矢理男か女かに分けられて、その中で埋没している人も多いのではと、ふと、思いました。

ヒジュラの集団は、音楽やダンスに長けた人が多く、そういう方面で活躍する人も多いそうです。ダリットの人たちも、音楽を生業にする人が多いらしい。ちょうど、日本の瞽女(ごぜ)が、集団として生業をもっていたのと同じかもしれません。

こうやって分けることが、良いことなのか良くないことなのか、区別してきちんと受け入れ認識することと差別は又違うので、難しい問題をはらんでいると思いますが、ともかく受け入れてもらえる集団があるというのは、スゴイことだと思いました。

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ダリットの女性達(2)

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ダリットの村も訪ねた。幹線道路は一応アスファルトで舗装してあるのだが、ダリットの村に入る道は舗装していないので、すぐ分かるのだという。道ぐらい舗装してあげたらいいのにって思うけど…

写真は典型的な家。他のカーストにも見られるが、椰子の葉をふいた背の低い家で、中で背を伸ばして立つことはできない。中は狭いので、屋外で寝ることも多いという。

私たちが村に着くと、楽団が出迎えてくれた。

昔は、ダリットの村にヒンドゥー教の寺院はなかった。つまりはまぁ、建ててもらえなかったのである。そこで、ダリットの村では自分たちで石や木を祀っていたという。ところが最近、ヒンドゥーの寺院がダリットの村に寺院を建てて、お金を集めるようになったという。それは一見良い傾向に思えるが、実は、そうではない。ダリットの人が普通の村のヒンドゥー寺院にお参りすることは許されないからだ。つまり、分離主義。。これは良くないとプレマさんは嘆いていた。

SHG(自助組織)には、いくつかのグループをまとめて面倒をみるアニメーターという人がいる。数十キロ四方に沢山ある村からだと、通うのも大変だし一箇所に集めることは無理である。だから、グループの面倒をみるアニメーターという人たちが、それぞれのグループを回って相談に乗っている。

どうやってSHGの活動をやっているか、最終日のお別れ会の時に「寸劇」をして説明してくれた。何を言っているか分からない(タミル語なので)が、それでも大体の様子はわかった。夫や姑、小姑に虐められて、自殺を考えているときに、こういう組織があるよと教えられて助けられ、最初は半信半疑だが少しずつその仲間になり、仲間になるとアニメータたちが家にやってきて、ダンナや姑に説明してくれるというような筋書きだった。

自助組織では、一人一人が少しずつ貯金をして、全員の合計が2万ルピーを超えるとそのグループに対して融資が受けられる。まぁ、昔(今でも島根の田舎にはあります)あった、「頼母子講(たのもしこう)」の現代版、あるいは少額融資制度みたいなものである。2万ルピーあると、牛一頭を買うことができるのだ!グループの紹介をするときには、今、いくら貯まりました!という誇らしげな報告が多かった。

ある自助組織では、市場の税徴収を一手に任されることになった。去年一年間請け負って、ようやく今年も更新できて2年目に入る。毎週市が立つ大きな市場(いわゆる卸売市場)の6つの出入口で、朝の6時から夕方まで、市場に入る商人から通行税を徴収する。牛一頭が10ルピー、山羊は8ルピー、鶏は4ルピー、野菜などは場所代として50ルピー。これは政府の税金であり、代理で徴収している。門では、ずるをする人もいるし、数が多いと数えるのが大変だし、喧嘩しないといけないし、なかなか大変な仕事である。ダリットの人たちは、文字や計算のできない人も多いので、必ず門に一人、ここのWOLDのスタッフ(計算と記録係)が張り付いている。

一日働いて、報酬は50ルピー。ダリットの人たちは基本的に日雇い肉体労働者であり、苦力(クーリー)として働いても一日15ルピーぐらいしかもらえないので、ここの50ルピーはわずかな額だが非常に大きな額である。ダリットの人たちは、非常にまじめに働くので、税収入の増えた政府は大喜び、そのお金を預かる銀行も大喜びで、今では、銀行がダリットの人たちの後押しをしてくれているという。

写真は門に立つダリットのSHGの人たち。青い制服を着て税の徴収をする。ピンクのサリーを着た人はWOLDのスタッフのレーヌカ。計算と記録係で、門ごとに一人ずつスタッフが配置されている。多いときは、牛がどどーーんとやってくるので大変。あらゆるものが売られている。もちろんスナックや食事を出す店もある。

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ダリットの女性達(1)

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WOLDの主宰は、プレマさんという女性(写真中央真ん中のピンクのサリーを着た女性)。ダリット出身でクリスチャンの恰幅の良い女性である。プレマさんはお父さんから多大な影響を受けたのだが、このお父さんの話がとても面白かった。

まだイギリスが支配をしてた頃、イギリスのさるミッションが、インド人への宣教目的で寄宿学校を作ったという。そこへ入れば、学費はタダで勉強をさせてもらえるのだが、誰も行きたがらない。西洋人は怖いと思われていた時代である。仕方がないので(?)、なんとそのミッションはダリットから子どもを捕まえてきて(^^;(プレマさんの表現)、寄宿学校に入れたんだという。プレマさんのお父さんが寄宿学校に取られたのは3歳の時。プレマさんの表現によれば「馬に乗った西洋人がやってきて、まるで鶏を捕まえるみたいに、ひょいと捕まえたんだ」という。両親はもちろん知らなくて、しばらく経ってから、「あの子はイギリスの寄宿学校にいるらしい」ということが分かったという。

なぜミッションが、寄宿学校を作ったか…。宣教するには勉強が必要だからである。まず聖書を読むためには字が読めないといけない、説教するには弁が立たないといけないし、文章の構成力もいる。プレマさんのお父さんは18歳までそこで勉強し、その後、外にでて教え、導き、説教して回ったという。

プレマさんのひぃおじいさんは、マハラシュートラ州(ムンバイのある西北隣の州)出身。イギリスからの独立をめぐって内戦が起こったとき、マハラシュートラ州からこのタミル・ナドゥ州に歩いて逃げて来たという。北の出身のため少し色が白い(インドでは、肌の色が白い方がカーストも高く、尊重される傾向がある)。地元の人とは少し違うことで「外部からのインパクト」となったのが、この地域でプレマさんが指導力を発揮できた理由だと、プレマさんは自己分析していた。

プレマさんの信条は Be Simple. Be with people. Love each other. である。

プレマさんは外国の支援のやり方には批判的である。西洋のミッションは、多額のお金を集めて来てそれを貧しい人に配る。そんな他力本願では、自分たちはいつまで経ってもこの状態から脱却することはできない。地元で、地元のやり方で、地元の人自らが自分たちの生活を変えていかなければならないのだという。インドの80%が農村地域。この農村地域を解放することが、国全体を解放することだと力説していた。

ダリット(不可蝕賤民)は、カーストの枠外の一番下に置かれて差別され、社会的にも経済的にも非常に苦しい生活を強いられている。だがそのダリットの男性の下にいる女性が一番、辛い立場に置かれているのだ。ダリットの大きな問題として「アルコール問題」がある。ヒンドゥー教徒もイスラム教徒も基本的に禁酒だが(インドでお酒を飲む場所は限られている)、ダリットの社会にはアルコールが深く入り込んでいる。日々の辛い生活から逃げる意味もあるのだろう。アルコールを飲んで、暴力をふるわれるダリットの女性は非常に多い。インド社会では基本的に離婚はできない。そういう女性はどうするのか?離婚できないのか?と尋ねたら、「それは無理だ」と言われた。じゃぁどうするのか?と聞くと、一言、「accept」、ただ受け入れるしかないのだという。

ダリットの女性達から一人一人自己紹介を受けたときのこと、一人の女性が「うちのダンナはいい人だ」というと、わぁ~と歓声が上がった。また一人「うちのは最高!」って言うと、やんやの喝采だ。だが、もしうちのダンナは酒飲みで暴力をふるうと外で言おうものなら、「お前は外でおれの悪口を言った」と酷い暴力を受ける。

そう、それは彼女たちの悲しい嘘なのだ。

それでもここでは女性達の自助組織(SHG: Self Help Group)が各村に浸透して、非常に大きな力となって、成功している。自分たちが働いたお金(普通なら全部夫に取られる)の中から少しずつを積み立てし、額が大きくなれば銀行からローンを借りて家を直したりしている。

地方の役人と交渉して、ダリットの組織が、ある市場の徴税の役目を請け負うこともできた。彼女たちは非常にまじめに細かく税金を徴収するので、政府の役人も大喜び、彼女たちにとってもわずか50ルピーだが大事な収入源となっている。

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プチサバイバル生活

同日、夜になってようやく目的地であるWOLD(Women's Organization for Liberation and Development)に到着した。

ここは、タミル・ナドゥ州のはるか農村地帯、近くに多くのダリット(不可蝕賤民)のコロニーがあるインドでも稀な場所である。このWOLDの宿泊所だけは電気が通っているが、近くにはまだ電気は通っていない。水道もなく、井戸水。井戸は10m四方ほど岩盤をくりぬいて掘られており、日本の丸い井戸とは全然違う。飲料水はミネラルウォーターを買って来てくれるが、他は全てこの井戸水でまかなう。

Room

寝る場所は、こんな感じ。ボンボンベットのちょっと大きい簡易ベットにマットが敷いてあり、一枚の布をかぶって寝る。

夜になると「やもり」がやってくる。これがまた立体的にでかいんだ。日本のやもりは小さくて平べったい。こちらは15cmぐらいあって、立体的。しかも「きゅんきゅんきゅん」と鳴く。それがあちこちの壁にたくさん。虫を食べてくれるから、感謝しなくてはなりません。やもりさんありがとう。

自然の力はすごくて、その後でボンディチェリに行った時、半日部屋を空けていただけで、床にアリが「蟻塚」を作っていた。私の隣のMさんのベットの下がアリの巣になっており、アリは働きものだな~と感心している場合ではなく、蟻塚を潰してアリが一斉に散らばっていったときは、ちょっとしたパニックになった。

大きなカエルもやってきた。小さなカエルならつかめるが、大きなカエルは無理。。。Kさんがカエルを追い出そうとするが、カエルは好き勝手な方向に飛ぶので、これまた大騒ぎ。

シャワールーム(正確には水浴び所)もあるが、もちろんシャワーが出るわけはなく、大きなバケツ(インドではバスルームに大きなバケツと手桶のセットが必ず置いてある)に水を汲み、それを手桶を使って汲んで、頭から身体から全てを洗う。数年前までシャワーのない宿舎に住んでいたおかげか、バケツいっぱいで髪の毛から全身洗って、しかも洗濯までできた私はエライと自画自賛。。

インドは暑いので、水をかぶるだけで十分OK、むしろ気持ちが良いくらいだ。洗濯して、近くに干しておくと、半日で乾く。

夜のうちは分からなかったが、朝になって近くを散歩してみると、ちょっとした高原みたい(朝のうちだけ、昼前になると猛烈に暑い)で爽やかだった。

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停電もしょっちゅう起こった。一度、夕方に猛烈な雷と雨が降り、案の定停電。これが復旧するにはしばらく時間がかかり、「ろうそく」をともす。一度、水浴び所で水を浴びているときに停電したときは本当に困った。ほんと何も見えない。が、そのうち停電にも慣れてしまった。

トイレももちろんインド式。
トイレの外に大きなドラム缶があり、そこに水がためてある。そこから手桶で一杯の水を持って入る。後は、手動のウォシュレット…。トイレットペーパーは失礼にあたるので、できるだけ使わない方がよい(といっても、ね…)。今回初めて知ったのだが、日本の場合、便器の排水の孔の部分が前に来るようしゃがむ。インドでは逆にしゃがみ、排水孔の部分を後にするのだそうだ。そうすると、「大」をしたときにそのままポトリと下に落ちる。日本式だと、そのまま溜まり、水を沢山流さないと流れていかない。なんとまぁ合理的!

食事はもちろんインド料理だが、非常に気を使ってくださっていた(辛さも少しずつ慣れるように)ので、とても美味しい。ラッサムという南インド独特のスープ(タマリンドという実を使ったちょっと酸っぱいスープ)も、最初はこわごわだったが、そのうち美味しく感じられるようになった。メニューもバラエティーに富んでおり、豆から肉から魚までいろいろと出てきて、美味しかった。

台所の様子。
インドの包丁は、台に垂直に刃がセットしてある。これは魚をさばいているところだが、器用に鱗を取り、えらを外していた。よほどの高級レストランでない限り、魚はぶつ切り(中骨が入った状態)で出てくる。白身の魚で非常に美味しい。ここにあるのはキスの仲間。ケララに行った時には、立派で美味しそうなイトヨリもあった。基本的に、日本と似通った魚である。

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2006-09-12

バナナの葉っぱは使い捨て容器

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カルナータカ州のベンガラペットというところから列車に乗り、隣のタミル・ナドゥ州のベロールへ、そこから又バスに揺られて、まずはWEL(Women's education for liberation)に行った。

ここで、まず南インドの食事が振る舞われた。今回の旅全般に言えたことだが、食事は非常に良かった。特に南インドは一般に北インドより食事が美味しいと言われている。ココナツを使うため、独特のこくがでるからだろうか。

初めて、バナナの葉っぱの上に食事が出た。これが南インド風だ。なんか南国風で、いいじゃん~♪ このバナナの葉っぱ、食事が終わると2つに折りたたんでポイっと捨てている。つまりは、なんと便利な使い捨て容器なのだった!

南インドの食事で有名なのが、「ドーサー」である。チャパティやナンなどが小麦粉を使っているのに対し、ドーサーは米粉を使う。薄く引き延ばしたクレープみたいなものだが、店によって垂直に立つとんがり帽子風、四角いものもあるが、一般的には筒状に細長い形をしている。プレーンもあれば、中にポテトの具材が入ったマサラドーサー(写真)もある。ココナツチャツネ(めっちゃ美味しい!!)やサンバ(野菜のカレー汁)が付いてくる。

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さて、このWEL、ダリット(不可蝕賤民)の女性達を支援する活動をしているが、最近、障害児のケアを始めた。ダリットは近親婚が多く、障害児の出生率が高いのだという。その障害児は何の手も施されないまま放置されていることが多く、今はインド政府関係のNGOと協働で、その子どもたちを集めて来て(60キロ四方から集める)、ケアを始めている。障害児といっても、身体障害児も知的障害児も、はたまた大人になって発病した精神障害も全て一緒くたにやって来るので、まずは障害の種別及び程度の識別から始めなければならない。

非常に優秀な働き手が多い(政府関係のケアマネージャーも含めて)ように感じた。リーダーの女性は、ダリットの中から大学を卒業し、この組織で働くことを誇りにしている。最近結婚したばかりで幸せそうだった。

壁にいろいろな標語が貼ってあった。。
Do not go out at night to encourage men...などなど
うーん、これは!! これは、非常に控えめな表現だが、実は、「身体を売るな」と言っているのだ。カーストの低い女性たちの中には、家計を支えるために売春をする人も多い。そんなことをせずにまずは学び、生きていく力を養っていこうといった標語が掲げられていた。

ここにいる女性達、みんなおしゃれだ。家計が苦しいなかでも、意識的に綺麗なものを身につけて、おしゃれをし、おしゃれをすることによってempowerする、つまり活力を得、女性としての誇りを失わないことに重きを置いているからである。

私たちも日本からの出発前に、絶対に汚いTシャツとGパンといった姿ではなく、きちんとアクセサリーを付けて綺麗にしてくださいと、口を酸っぱく言われた。

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扇風機が32台も

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雀の宿に2晩宿泊して、近所に買い物に出かけたり、近くから来る子どもたちと交流した後、次の目的地に向かった。

今度の移動は列車。嬉しい~。初めて列車に乗るんだ!バットしかし、ホームに行き先表示はない。大きな駅の場合は、ホームを確かめないといけないが、ここで便利なのがポーターさん。荷物運びのおっちゃんたちである。行き先を言うとホームに連れて行ってくれる。どちらにしてもエスカレータもエレベータもない駅で、ン十キロもある荷物を運ぶのは大変。昔の赤帽さんと同じく、荷物運びの専門家に頼んだ方がよい。。もちろんチップは必要である。

負けては2時間ぎゅうぎゅう詰めのバスで立ちっぱなしになるので、大きな荷物を抱えて席取りゲームに参加する。。。

バスの座席は三人掛け。どうも慣習的に男は男同士、女は女同士で座るようだが、外国人の私は構わず男性の隣に座った。ちょっと(かなり)困った様子だったが、知らない振りをした(^^;;

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トルシーとニームと

今回のインドで出会った忘れがたい植物は、トルシーとニームである。

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「トルシー」は、バジル科の植物でアーユルベーダでも使われる聖なる薬草。万病を防ぐと言われています。ヒンドゥーの家には必ずこのトルシーを植えた鉢があって、毎朝鉢に水をやってその周りを三回回るそうな。その効能は数メートル四方に広がり、身体の調子を整えるという。

雀の宿では、このトルシーのお茶を飲ませてもらった。少し甘みがある。いわば、インド版の身近な漢方薬というところだろう。このトルシーの入ったシャンプー(一個パックになっている使い捨て版)がチェンナイのホテルについていて、いたく良かったのです!髪の毛がさらさらになるの~~ということで、トルシーシャンプーを買い求めて帰ってきたのでした。


もう一つの忘れがたい植物が「ニーム」。インドセンダンともいう。
時々、タミル映画などで、木の茎で歯磨きをしているものがあるが、ずばりこのニームは歯磨きに良い!ほのかな香りと、苦みがある。。5mmほどの茎を取り、皮を剥く。中の白い茎の部分をがしがし噛んで、ぎざぎざにし、それで歯を磨く。苦みがあって唾液がでるが、唾液をはき出しながら歯を磨く。ささくれてきたら歯間ブラシにもなるし、茎を半分に割くと舌ブラシにもなる。次のチェンナイの宿泊所(?)では、ずっとこのニームを使って歯磨きしていた。

また、このニーム入りの石けんは良い香りがする。爽やか~という感じ。
特に、「MEDIMIX」というものがチェンナイのホテルに備え付けられていたのだが、アーユルベーダのブランドでとても良い香りがする。そのほかに、hamamというブランドも素晴らしくよい香りがし、その他いくつか香りのよいものがあったので買い求めて来た。

バンガロールから次に行ったチェンナイの田舎にあるWOLDという施設の周り一帯には、このニームの並木道がずっと続いておりました。

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2006-09-11

バンガロール

日本からバンコク経由で入ったのがバンガロール(カルナータカ州)。そう、世界に名だたるIT産業の都、日本企業もたくさん進出している。といっても、そういう町中は素通りして、バンガロールの空港からそのまま「雀の宿」というところへ、バスに2時間ほど揺られて行った。

久しぶりのインドの感想。バンガロールから外灯もない田舎道を走りながら、ひたすら感心したのはガソリンスタンドが突如現れること。建設中のガソリンスタンドが多いこと。それだけ需要が多いのだから、産業が発展しているということだろう。そういえば、ムンバイでも物乞いが劇的に減っていた。

 「雀の宿」のグローリアさん(牧師)は、全てを売り払って何もなかったこの土地を買って井戸を掘り、近くの貧しい人たち(ダリット(不可蝕賤民)の人たちを含む)のための救済施設を作った。最初に建てたのは、教会堂ではなく「食堂」。そう、まずは食うや食わずの人たちに食べるものを提供するのが第一だと考えたからだ。

 最初の掘っ立て小屋から約10年。何もない土地で困っていたときには趣旨に共感したシスターが協力してくれ、全て手作業で少しず敷地を整備し、最近ようやく礼拝堂が建った。

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 グローリアさんは韓国人、ご主人はインド人でイタリアで知り合ったという。2人の間にいる娘さんは、インドと韓国を結ぶ意味を込めて、Inkoという名前をもつ。

 ラッキーなことに最近建った宿泊施設に泊めてもらった。韓国式なのか、床にござと薄い敷物を引いて寝る。バンガロールは高原地帯なので、夜はかなり涼しかった(酷暑の日本からだと寒いくらい)。お湯を用意してくださったので、それを薄めて桶でかぶって、床についた。

花が咲き乱れきれいな場所でした。

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2006-09-10

無事帰国しました

無事に、インドから帰国しました。

なんと!勝手知ったる我が町ムンバイにて「手品詐欺」に遭い、目の前で20ドル札2枚が1ドル札2枚に早変わり!40ドル(正確には38ドル)を取られました。。(これには続きの世にも恐ろしい話があります。。。)ケララで散財したので、ここで失った日本円に換算して5000円は非常に痛かった。。。

ポンディチェリでは火事に遭いました!ちょっと、というかかなり笑える(ほんとは笑えない)エピソードです(^^;とまぁ、いつもながらいろいろありましたが、無事に3週間をお腹を壊すこともなく、風邪を引くこともなく、元気で過ごしました。美味しいものをいっぱい食べて幸せでしたが、さすがにベジタリアンの食事が続くと、突如「肉が食いたい…」状態になりました(^^;

それにしても南インドはいいわ~~
ケララは最高でした。バックウォーターのアレッピー、ローカルなバスの席取り合戦を制すること2時間、行くのは大変でしたが、着いたところは別天地! 間違いなく今年ナンバーワンの一押しの場所です。アーユルベーダのオイルマッサージショートコースもしてもらい、非常にリフレッシュできました。

ということで、まずは無事帰国の報告、追々写真を交えて報告していきたいと思います。。

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