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2010-06-20

ちむぐりさ沖縄-その一

 沖縄から、4名、無事帰って来ました。

 苦しくて、切なくて、めっちゃ楽しくて、色んな思いが詰まった旅行になりました。
 そう、戦争を引きずった沖縄と、ひたすら青い海を満喫するリゾートの沖縄。現代の沖縄の両方の面を、垣間見た気がします。
 なぜだか、徳ちゃんがグルメ担当で、私が重たい話担当になったので(^^;、美味しい話は徳ちゃんのブログを見て下さいませ(横にリンクが貼ってあります)。

 ちむぐりさ沖縄は、去年大阪であった公演を見に行って感動をしたお芝居です。
2009年のちむぐりさ沖縄の記事

 このお芝居の沖縄公演があるというので、やっぱりお話の舞台である沖縄で見てみようじゃないかと、沖縄まで出かけて行くことになりました。このお芝居の舞台である、陸軍病院20壕(第二外科病壕)が一般公開されているので、お芝居の前に壕と資料館(南風原文化センター)を見学することにしました。

 沖縄は熱帯でした。。。

 空港に着いたとたんに、何?これ?のむーーとした熱気。すぐに汗が噴き出して来る。気温30度、湿度90%。
 身体が全く温度の変化に付いていけず、1分ごとに体力が奪われるのが分かる。。。暑い。。。暑い。。。サウナの中で行動しているみたい。。。

 ホテルに荷物を置いて、昼食。国際通りのお店を1時間ほど見てから、お芝居のある南風原町へ。ここで、突然、大事なことを忘れた事に気がついた。。。後から遅れて一人で来るかおりちゃんのためには、事細かに時間と移動経路を書いた「指示書」を用意したのに、肝腎の自分の分を忘れた(^^; バスの時間が分からない(^^; どこで下りるかもわからない。。南風原の地図もない。。。

 何本か電話をかけて、バスの時刻やら、下りるバス停を教えてもらう。バスに乗ること30分。下りるように指示された「福祉センター前」で下りる。

 「4時に予約したのですが、言われた通りのバス停で下りました。文化センターはどうやって行ったらいいですか?」
 「今どこにいます?」
 「福祉センター前ですが」
 「うーん、役場と反対方向だけどねぇ、、だれか近くにいる人に聞いたらすぐ分かるから」
 「・・・・・」

 誰かって言われたって、近くに誰もいません。。。再度、電話をかける。

 「あの、誰も人がいないのですが、どうやって行ったらいいですか?」
 「山の方に行って、ともかく南へ100mほど歩いたところだから」
 あの、、、、南ってどっち???

 沖縄流の(?)アバウトな説明にも負けず、近くの歯医者さんに飛び込み、なんとか自力でたどり着きました。もうこの時点で、大分、体力消耗してます。。。

P1020186a汗だくで文化センターへ。入口に絵がある。カラフルな色。熱帯の魚か何かかと思えば、違う。。よく見ると火炎放射器で壕の中の人が焼かれる絵柄だった。。
 そして受付のお姉さんを見て絶句。。なんでありんこここにいるの?お姉さん、今日沖縄に一緒に来れなかったありんこにそっくりなのです。めっちゃびっくり。。。

 ともかく先に壕の見学を申し込んでいたので、壕に行くことにする。

 「壕の見学予約をしているのですが…」
 「はい。何で来られました?」
 「歩いて」
 「……」
 ありんこ似のお姉さん絶句。絶句した意味がすぐわかる。
 「あの・・・、壕なんですが、山一つ超えたところにあります。。」
 「山一つ!? どの山ですか?」
 「あの山」
 「……」
 「車だと近くまで行く道があるんですが。」
 「あらま。。」

 仕方が無いので、山登りすることになった(^^; この山といっても、丘ぐらいなのですが、「飯上げ」と行って、戦争当時、炊事場からこの山を越えて、向こう側の壕まで食事を運んだのです。奇しくも、ひめゆり部隊と同じ道を歩くことになる。

 山を越えると、20号壕。。ヘルメット被って、懐中電灯持って、中に入る。写真ではフラッシュたくので明るく映っているが、中に電気はなく真っ暗。その上、むわっと蒸し暑い。蒸し暑くて息苦しい。それにものすごく怖い。。怖い上に、下はぬかるんでずるずる、下に気を取られると、頭を天井にぶつける。

 真っ暗な中で、ここにベットがずらっと並んでいた、ここは手術室で麻酔無しで足を切り落とした、そして壕を放棄する時、重症患者に青酸カリを配った。。。壕の中で聞く話は、分かっていても、辛いものがありました。当時はろうそくをともし、蝋燭が消えかかると酸素が足りないということなので、毛布なので換気をしたそうです。

 入口近くが真っ黒に焼けています。アメリカ軍の火炎放射器の跡です。本当に身の毛がよだちます。

P1020187
 やっとのことで外に出、また一山越えて資料館へ。
 資料館の中に入ったとたん、足が固まる。今度は、壕の中の様子が再現したベットがずらーーー。人形が置いてあるのだけど、人形が生々しい。。ここ南風原の資料館は、沖縄戦のことをきちんと展示した良い資料館だと評判らしい。展示物が豊富で、手で触れる(触りたくないものもたくさんあるが)。

 心身ともに、かなりのダメージを受けたので、晩ご飯を食べて鋭気を養うことにする。
 が、お芝居のある会場の近くには何もない。。30分以上歩いたけど何もない。。。結局、コンビニでおにぎり一個買って食べる。。もうよれよれのダブルパンチ。ここで、無事にかおりちゃんが合流。良かった良かった。

 今回の「二つの壕(ちむぐりさ沖縄)」
 お陰様でリアルに体験できました。夏、あの蒸し暑さ、狭い壕。それだけでも辛いのに、戦争中は病院壕、どんなんだったのか想像も付かない。私には絶対に無理!って思いました。でも、実際は無理って言いながらも、やらざるを得なかったのですものね。むごいことです。

 会場は満杯の人。みんな真剣に聞いている。。資料館で知ったが、この地域の生存率は50%。二人に一人が亡くなっている。身内の誰かが必ず亡くなっているのです。

 本当は交流会に出るはずだったが、あまりにダメージがきついので、ホテルに帰る事にする。帰りのタクシーの運転手さんは、このお芝居を見に来てくれた人。前回見て感動して、今回も来てくれたそうだ。もう一つの壕、天皇を避難させるための松代の壕のことを、その時初めて知ったそうだ。松代の壕、ぜひ見に行かねば。。。

 陸軍病院の壕の案内をして下さったボランティアの方。かなり年配の方だが、この壕のことは以前はあまり知らなかったそうです。そう、あまりにむごくて、あまりに辛い思い出で、忘れたいから、親もあんまり語ろうとはしなかったらしい。この南風原の陸軍病院壕跡も、戦争史跡として残そうという運動で残ることになったらしい。負の遺産でも後生に伝えて行きたい、伝えていかねば、ということらしい。

 語るのは辛くても、語っていかなければ、語って行くことに意義があるというのは、次の日から2日間お世話になった、観光バスのバスガイドさんからも学んだことです。。

 ホテルに帰って、心機一転(?)(^^;、沖縄料理のお店を紹介してもらって、ビールを飲んで美味しいものを食べて…。美味じゃのう、美味じゃのう。。。
 ほんと人間って。。しょうがないのう。。。沖縄ではずっと、落ち込んでは美味しい食べて喜び、落ち込んでは、リゾート気分できゃーきゃーといい、相反する気持ちに翻弄される日々でした。

(その二につづく)
 

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